朝鮮王朝の政治形態は、国王が絶対的な権力者として国内を統治していた。国王以外の絶対的な権力者はいなかったはずなのに、実際には国王以上に力を持った黒幕がいた。それは、韓明澮(ハン・ミョンヘ)、金祖淳(キム・ジョスン)、興宣大院君(フンソンデウォングン)の3人だ。
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彼らは歴史的にも悪評を受けてきた。それは、権力を独占した弊害が大きかったからだ。果たして、3人は何をしたのか。
●韓明澮[1415~1487年]
歴史的にも狡猾なイメージが強い。7代王・世祖(セジョ)が甥の端宗(タンジョン)から1455年に王位を強奪するときに非道な策士として暗躍した。以後、政権の中枢を占めるようになり、世祖が1468年に世を去った後はさらに強大な権力をほしいままにした。
それだけではない。娘たちが7代王・睿宗(イェジョン)や8代王・成宗(ソンジョン)の正室になっており、姻戚関係を悪用して朝鮮王家の正統性を歪めた。
●金祖淳[1765~1832年]
王朝の衰退を招いた張本人であった。23代王・純祖(スンジョ)の正室だった純元(スンウォン)王后の父親であり、純祖の王位を大いに揺るがし、安東・金氏(アンドン・キムシ)という一族だけで要職を占めて政権を私物化してしまった。そのために、有能な人が政治に関われなかった。さらには、賄賂政治を横行させて、朝鮮王朝の統治機構を腐敗させた。その悪影響は後々まで続いた。
●興宣大院君[1820~1898年]
呼び名にある「大院君」とは、自分は国王になっていないが息子が国王になった人に対する尊称だ。実際に26代王・高宗(コジョン)の父であり、未成年の息子の即位にともなって実権を掌握した。意欲的に政治改革を行なったのは確かだが、ことごとく失敗した。
1865年からは正宮の景福宮(キョンボックン)の復元工事を実施して民衆を重税で苦しめた。さらに、諸外国と不必要な摩擦を起こして、国運を大いに後退させてしまった。歴史的にも、評判がきわめて悪い。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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