『帝王の娘 スベクヒャン』は、古代の百済(ペクチェ)を舞台にしている。当時の朝鮮半島の勢力図がわからないと、ドラマを見ていてストーリーについていけないときもあるので、ここで大事な百済の歴史について解説していこう。
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百済にとって肝心だったのは、朝鮮半島の北方を領土とする高句麗(コグリョ)に勝利することだった。両国では昔から領土争いが深刻だったのだ。
歴史的に言えば、高句麗との戦いに大勝利したのが百済の13代王・近肖古王(クンチョゴワン/在位は346~375年)だった。
当時の都は今のソウル周辺にあった。ここを拠点にして近肖古王は軍を徹底的に鍛えて、高句麗との戦いに勝ち続けた。
けれど、近肖古王が世を去ってから、百済は苦戦を強いられるようになった。
高句麗は寒い地域を領土にしている。それゆえ、暖かい土地を求める南下政策をとることが国の戦略になっていた。それに従って、高句麗は475年に大軍で百済を攻めだ。大激戦となったが、次第に百済は劣勢となり、21代王・蓋鹵王(ケロワン)は、避難する途中で高句麗の軍によって殺されてしまった。
国王まで敵に殺害されるとは……。
百済にとって本当に一大事なのだが、結局、百済は高句麗の攻撃を避けるために、都を南の熊津(ウンジン)に移さざるをえなくなった。まさに、苦渋の選択であった。
こうして、『帝王の娘 スベクヒャン』の物語が展開されていた時代には、百済の都は熊津になっていた。ここは現在の公州(コンジュ)である。
この遷都によって、百済はなんとか劣勢を挽回することができた。
その後、501年に25代王の武寧王(ムリョンワン)が即位して、523年まで善政を行なって百済の国力を向上させた。
この頃は本当に絢爛(けんらん)たる王朝文化が栄えたのである。
『帝王の娘 スベクヒャン』では武寧王をイ・ジェリョンが演じている。この王は百済の全盛時代を築いた名君であり、その風格はドラマでたっぷりと感じ取ることができる。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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