時代劇『トンイ』でイ・ソヨンが演じた張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期が描かれたのは第55話だった。ここで振り返ってみよう。
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王命によって張禧嬪の死罪が決まった。
張禧嬪の息子だった世子は取り乱し、ハン・ヒョジュが扮したトンイの元に駆けつけて「母を生かしてください。父を説得してください」と懇願するが、トンイにはどうすることもできなかった。
さらに、絶望していた張禧嬪は世子と引き離されてしまう。息子に会うこともできなくなったのだ。
泣き叫ぶ張禧嬪だったが、トンイの姿を見つけると、すぐに駆け付けた。そして、トンイの手を取ってひざまずくと、そのまま声をからして絶叫する。
「世子を守ってくれるのはあなたしかいない。私があれほど恨んだあなただけなの……」
しかし、トンイは張禧嬪を見なかった。それでも、張禧嬪は叫び続けた。
「私の最後のお願い……、どうか世子だけは守って!」
地面に倒れこんでしまった張禧嬪。トンイに屈服した姿は哀れだった。
その後、張禧嬪は王宮の中庭に出て、粛宗(スクチョン)がいる場所を向いてチョル(礼に基づいた挨拶)をする。そして、彼女は心の中で独白する。
「私の最期の姿を記憶してください。殿下、どうか私を……」
観念した張禧嬪は、自分が良かった頃を回想しながら毒薬を飲んだ。
以上のようにして『トンイ』で張禧嬪が絶命する場面が描かれたが、史実ではどうなっていたのだろうか。
実は、朝鮮王朝の歴史を記述している正史『朝鮮王朝実録』では、張禧嬪の死ぬ場面は記録されていない。
それどころか、彼女が死罪になったことも詳細に書かれていない。
確かなことは、1701年10月の『朝鮮王朝実録』で粛宗が張禧嬪への死罪を正式決定したあとの記述は、すでに彼女の葬儀の準備に移っていた。一番肝心な「張禧嬪の死罪の場面」はあえて書かれていないのだ。
それによって、どのように死罪が行なわれたか、ということを再現することはできないが、葬儀が丁重に行なわれたことはしっかり記述されている。
死罪になったとはいえ、張禧嬪はかつて王妃だった。それゆえ、彼女の葬儀は王妃に準ずる身分で執り行なわれた。そこには、粛宗の特別な配慮があったものと思われる。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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