ドラマ『トンイ』では、粛宗(スクチョン)をチ・ジニが演じた。彼はとても理知的で思慮深い国王の姿を見せてくれた。
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確かに、粛宗には政治的な業績が多い。内政や国防で大きな成果を挙げているのだ。その一方で、女性問題で大きなトラブルを何度も起こしている。
そういう意味では、政治的なオモテと女性遍歴のウラを持った国王だった。改めて、どんな人物だったかを見てみよう。
19代王の粛宗は1674年に13歳で即位した。張禧嬪(チャン・ヒビン)と初めて会ったのは1680年のことだ。宮中で女官見習いをしていた彼女に一目ぼれした粛宗は、絶世の美女と言われた張禧嬪を寵愛するようになった。
粛宗の正妻だった仁顕(イニョン)王后は、最初こそ張禧嬪に好意的であったが、次第に張禧嬪が増長していったので、怒りをあらわにするようになった。
しかし、仁顕王后のほうが立場は悪かった。1688年に張禧嬪が粛宗の息子を産んだからだ。当時、仁顕王后には子供がいなかった。
途端に、粛宗も王妃に対して薄情になった。高官たちの反対にも耳を貸さず、粛宗は仁顕王后を王宮から追い出そうとした。事実、粛宗は仁顕王后を離縁する。そして、側室の張禧嬪が王妃に昇格した。
すると、張禧嬪は贅沢三昧の生活に明け暮れるのだが、息子が世子として王の後継者に指名されたので、ますます張禧嬪の権勢が強くなった。
しかし、栄華は短かった。原因は、粛宗の浮気性だ。彼が新たに惚れた女性こそが、あのトンイである。正式には淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)と言う。ドラマ『トンイ』でハン・ヒョジュが演じた主人公のことだ。
心変わりした粛宗は張禧嬪を冷遇して淑嬪・崔氏を寵愛するようになった。この淑嬪・崔氏は仁顕王后を慕っていたので、粛宗は張禧嬪を再び側室に降格させて、仁顕王后を王妃に復位させることを決意した。
すでに、粛宗と張禧嬪との間に生まれた息子が世子になっていたので、世子の母親を王妃の座から引きずりおろすのは不自然だった。しかし、粛宗はまるで気にしていなかった。自分が決めたことは絶対に実行に移した。
1694年、仁顕王后は再び王妃となった。それまで廃妃となった王妃は何人もいたが、復位できたのは彼女が最初だった。
その快挙の立役者は淑嬪・崔氏だ。彼女がいたから仁顕王后は王宮に戻ってくることができた。そうした活躍はドラマ『トンイ』の中でもたっぷり描かれていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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