時代劇『トンイ』は全60話の長編ドラマであったが、物語のハイライトとなっていたのは、イ・ソヨンが演じた張禧嬪(チャン・ヒビン)が死罪になる場面だった。それは第55話で描かれていた。
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もちろん、張禧嬪は「朝鮮王朝三大悪女」の1人に数えられる女性だったし、あれほどの悪事を重ねて『トンイ』で希代の悪女ぶりを見せていたので、その死がドラマでセンセーショナルに扱われるのも当然のことだった。
『トンイ』ではチ・ジニが粛宗(スクチョン)を演じて張禧嬪の死罪を決断していくのだが、史実では一体、粛宗がどのような対応を見せていたのだろうか。再現してみよう。
1701年8月に仁顕(イニョン)王后が死去したのにともない、9月下旬になると張禧嬪に対して「王妃に嫉妬して殺害しようとした罪」を糾弾して自害せよ、と粛宗が命令を出した。
そのときの生々しい言葉が『朝鮮王朝実録』に記されている。
果たして粛宗は何と言ったのか。
まず、粛宗は張禧嬪が行なった悪事を明らかにしている。
「張禧嬪が内殿(王妃)を嫉妬し、恨み、密やかに謀略を図り、宮殿の中や外に神堂を設置して重ねて呪詛(じゅそ)しながら凶悪で不潔な物を内殿の屋敷のそばに埋めた。それは実に許し難いことだ。その状況がすべて明らかになり、まさに憤慨するところである。これをそのまま放置すれば、重大な国家の懸念となる。本当に類がないほど恐ろしいことだ」
このように述べたあと、粛宗は張禧嬪を罰する決定を下している。
「余は今、国家のため、世子のため、張氏を死刑にしようとしている。まったくもって辛い。それでも、自害することを命じる。ああ、余が世子の事情を考えないはずがなかろう。大臣やその他の臣下たちが、世子のために尽くそうとする誠意がわからないわけではない。考えに考えを重ね、さらに十分に考えた結果、ここまで事態が及んでしまったからには処分しない訳にはいかない。そのような結論に達した。ゆえに、私の意志を持って、左右の家臣に命令するしだいである」
このような粛宗の決定によって、10月になってから張禧嬪の死罪が行なわれている。ただし、粛宗は張禧嬪の産んだ長男は世子からはずさなかった。この世子が後の景宗(キョンジョン)であり、彼は1720年に即位している。つまり、張禧嬪は死罪になったが、息子を国王にする願いは叶えたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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