晋城大君の即位は『七日の王妃』と史実ではどう違うのか

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歴史的に言うと、晋城大君(チンソンテグン)というのは、燕山君(ヨンサングン)という暴虐な兄を持って常に生命の危機に怯(おび)えていた。それほど、兄は恐ろしい存在だった。

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よもや、兄に代わって国王になろうという気持ちは微塵(みじん)もなかった。しかし、『七日の王妃』というドラマでは、ヨン・ウジンが演じた晋城大君は兄の暴政を終わらせるために動いていた。その描き方は史実とは違うが、ドラマをスリリングに見せてくれた。

それでは、史実のうえでは、晋城大君はどのように国王になっていったのだろうか。『朝鮮王朝実録』の記述を通して当時の状況を解説していこう。

燕山君を廃位にするクーデターが起こったのは1506年のことだった。

クーデターが成功すると、リーダーの朴元宗(パク・ウォンジョン)たちが大妃(晋城大君の母)の元に駆け付けて挨拶した。

「王が大きく道から逸脱し、政治を任すことができなくなりました。今や、天命と人心は晋城大君の元にあります。すべての臣下たちは晋城大君をお迎えして、大統(王の系統)をつなげようようとしています。このことをお許しくださいますか」

『七日の王妃』で晋城大君は兄の悪政を終わらせようとしていた(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved
ドラマ『七日の王妃』より。DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中)

度重なる説得を受けて即位

すると、大妃はこう述べた。

「国の趨勢(すうせい)がこのようになったので、また新しく始めるしかない。皆が言った通りにしよう」

こうして使者が晋城大君の私邸に行って即位を要請した。

晋城大君は返答した。

「朝廷を守るためにこのようになされるのは当然だが、私は実に不徳が多い人間です。それゆえ、即位を受けることはできません」

このように、晋城大君は再三にわたって拒絶した。

しかし、度重なる説得を受けて、ようやくこれを認めた。

使者たちが王宮に戻るとき、道で多くの民たちが涙を流していた。 彼らは「聖主がいらっしゃったから国が救われた」と言った。

結局、晋城大君は王宮で即位し、多くの官僚たちから祝賀を受けて大赦令を内外に発令した。

このような経緯で晋城大君は即位して中宗(チュンジョン)になった。以後、彼の統治は1544年まで続いた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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