『七日の王妃』の晋城大君は史実でも母の大妃に口答えができたのか

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時代劇『七日の王妃』では、ヨン・ウジンがイ・ヨクを演じている。彼は歴史的に晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれていて、1506年には国王の中宗(チュンジョン)となる。そんな彼が、パク・ミニョンが演じるシン・チェギョンの夫になっているのだが、ドラマによく登場する母親が慈順(チャスン)大妃である。

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彼女が嫁のシン・チェギョンに対して様々な指図をしていくのだが、晋城大君にとっては腹が立って仕方がなかった。そこで、彼は母親の慈順大妃に「チェギョンに口出しをしないで!」と警告を発する。ここまで見ると、嫁を守るために母親を牽制する息子のように思えてくる。

しかし、史実はまったく違う。晋城大君は慈順大妃にとても従順で、何も歯向かうことができなかった。それほど慈順大妃は母親として立場が強かった。

実際、慈順大妃は個性が強い女性だった。生まれたのは1462年だ。

9代王・成宗(ソンジョン)の側室になったのが1473年で、当時の王妃(燕山君〔ヨンサングン〕の母親)が廃妃になったのにともなって1480年に王妃に昇格している。

そして、1488年に晋城大君を産んだ。さらに、形式的には燕山君の母親としての資格を有し、大妃(国王の母)として王宮の大奥を仕切っていたのである。

晋城大君は妻のチェギョンを守るために母の大妃に対抗できたのか(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved
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愛する妻のために尽力

そんな彼女が歴史の重要事件の当事者になったのは1506年だ。暴政に憤怒した高官たちが燕山君を排斥するクーデターを成功させたとき、それを承認する役割を担ったのが慈順大妃であった。

もしも彼女がクーデターを承認しないと、それは最悪の反逆罪になってしまう。それゆえ高官たちは必死に慈順大妃に願い出て、ようやく許可をもらうことができた。その結果、慈順大妃が産んだ晋城大君が国王に即位する運びとなったのである。

それだけに、息子の晋城大君としては慈順大妃に口答え一つさえできなかった。

しかし、『七日の王妃』では晋城大君がチェギョンのために強烈な警告を発するほどだった。愛する妻のために尽力する姿がドラマの中で大々的に描かれていた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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