パク・ミニョンが演じる端敬(タンギョン)王后が主人公になっている『七日の王妃』では、ヨン・ウジンが夫の晋城大君(チンソンデグン/後の中宗〔チュンジョン〕)を演じている。この晋城大君は1488年に生まれているが、父親が成宗(ソンジョン)で母親が貞顕(チョンヒョン)王后だった。
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この貞顕王后は1497年に「慈順(チャスン)大妃」という称号を受けたが、素顔の彼女は息子の晋城大君を溺愛しており、その反動で晋城大君も極端のマザコンになってしまった。
そのことは、慈順大妃が重大事に発した強烈な一言でも察することができる。
その言葉とは何なのか。
当時の重大事の背景を説明しよう。
それは1506年のことで、暴君の燕山君(ヨンサングン)は、造反する高官たちが起こしたクーデターによって廃位にされてしまった。
直後に、高官たちは次の国王に晋城大君が就いてほしくて、順序として先に慈順大妃から承諾をもらう必要があった。そこで訪ねていくと、慈順大妃から強烈に言われてしまった。
「あんな小さい子供がどうやって重責を全うできるのか。とうてい承諾できない」
高官たちは慈順大妃の言葉を聞いて途方に暮れた。
とはいえ、すでに晋城大君は18歳になっていた。当時としては立派な大人だ。
それなのに、慈順大妃は我が子のことを幼児扱いであり、「あんな小さい子供」とまで言い放ったのである。
こういう発言を聞いていても、慈順大妃の息子への溺愛ぶりがわかるし、そんな母親に常に干渉されていた晋城大君は典型的なマザコンになっていた。
せっかくクーデターを成功させたのに、次の国王が決まらず高官たちは本当に困り果ててしまった。
それゆえ、何度も慈順大妃に晋城大君の即位を要請した。
その一方で、晋城大君は国家の一大事なのに自分の意思では国王すらも決められなかった。すべて母親の慈順大妃の言いなりだった。
最終的に晋城大君は国王になったが、結局は決断力が弱い王様だった。そういう性格だったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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