時代劇『七日の王妃』を見ていると、イ・ドンゴンが扮している燕山君(ヨンサングン)が、常軌を逸した行動をよくしている。たとえば、パク・ミニョンが演じているシン・チェギョンに対して「間者になれ」と要請している。つまり、「夫であるヨク(晋城大君〔チンソンデグン〕のこと)を妻として見張っていろ」とシン・チェギョンにスパイ命令を出しているわけだ。
【写真】【悪役となったイケメン】『七日の王妃』で燕山君を演じるイ・ドンゴン
実際、燕山君は暴君としてあまりに有名なので、理不尽なことを異母弟の妻に頼んでも不思議ではない。史実では、もっとひどいことを行なっていたのだから。
そんな燕山君の悪行でよく知られていることを解説してみよう。
成均館(ソンギュングァン)と言えば朝鮮王朝の最高学府であり、学を重んじた朝鮮王朝で特に重要な機関であった。
そんな重要な場所なのに、燕山君は成均館を酒池肉林の現場にしてしまった。つまり、本来は儒教の書生たちが必死に勉強をしている最高学府をふしだらな遊興の場に変貌させたのだった。
こんなひどいことを始めたのは1504年の7月であった。まさに倫理観の堕落だ。儒教思想を重んじる高官たちも大反対したのだが、燕山君は聞く耳を持たなかった。
また、庶民が悪政の改善を訴える請願をたくさん出すようになると、燕山君はその訴えを嫌悪するようになり、ハングルの使用そのものを禁止してしまった。
いかにも本末転倒である。悪政を改善する気持ちがまったくなく、むしろ、燕山君は請願に使われたハングルを憎んだのであった。
ハングルというのは、漢字が難しすぎて覚えられない庶民のために、名君だった4代王・世宗(セジョン)が作った簡易な文字だ。このハングルの使用を禁止したのは、明らかに世宗に対する反逆であったと言える。しかし、正常な神経を失っていた燕山君は、名君の偉業までも無視したのであった。
このように国王として最悪なことしかできなかった燕山君。彼が高官たちによって廃位とされてしまったのも必然であった。結局、燕山君がクーデターで王宮を追われたのは、1506年9月のことだった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【写真】『七日の王妃』でイ・ドンゴンは燕山君の憎悪をどう演じたのか
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