時代劇『七日の王妃』は後半になると、パク・ミニョンが扮するシン・チェギョンが、ヨン・ウジンが演じるイ・ヨク(晋城大君〔チンソンデグン〕)と夫婦になる。2人は幸せな結婚生活を送ることになるのだが、その最大の障害が、イ・ヨクの異母兄の燕山君(ヨンサングン)であった。
【写真】【悪役となったイケメン】『七日の王妃』で燕山君を演じるイ・ドンゴン
ドラマの中でイ・ヨクは愛するチェギョンのためにも、兄の燕山君を倒していく覚悟を内心で固めていた。
一方の燕山君も、異母弟をずっと警戒していて、チェギョンに対して夫を監視するように要請していく。
このように、兄弟は明らかに仲たがいしていたのである。
以上はドラマの描き方なのだが、史実ではどうだったのか。2人の仲はどのようになっていたのだろうか。
イ・ヨクは晋城大君のことだが、彼は1488年に生まれている。それより12歳も年上なのが燕山君であった。
時代は15世紀から16世紀にかけてである。当時、12歳も離れていたら、子供と大人くらいの違いがあった。それだけに、燕山君は晋城大君のことを弟より息子くらいの気持ちを持っていたはずだ。
しかも、燕山君の母は廃妃(ペビ)にされていて、その代わりに王妃となったのが晋城大君の母であった。
こうした複雑な事情があったこともあり、燕山君は晋城大君に対して相当きつく当たっていて、それは周囲からは、ひどいイジメに見えるほどであった。
それゆえ、晋城大君は12歳上の兄に対して、極端に恐れるようになった。それがわかっているのに、燕山君は態度を改めるどころか、むしろ図に乗って弟のことをきつく叱りつけていた
1494年に燕山君が国王になってからも、彼は弟をよく恫喝(どうかつ)していた。それによって、晋城大君はすっかり委縮してしまって、兄の言動を極度に恐れるようになった。
このように、2人の兄弟は極端な服従関係になっていた。
晋城大君にしてみれば、「燕山君は鬼のような兄」であった。絶対に服従、が当たり前だったのだが、まさかクーデターでその兄が廃位になるとは、夢にも思えないことであった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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