【『風と雲と雨』の歴史解説】哲宗が世を去って次期国王はどうなったのか

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されている時代劇『風と雲と雨』は、5月27日の第19 話で国王の哲宗(チョルチョン)が亡くなった。

【写真】【まだ間に合う】これからどうなる? パク・シフ主演の大作『風と雲と雨』

彼には後継ぎとなる息子がいなかった。それだけに、次期国王をめぐる争いが熾烈だったのだが、主導権を握っていたのが趙(チョウ)大妃(テビ)だった。

彼女は政権を牛耳っている安東・金氏(アンドン・キムシ/ドラマでは壮洞・金氏〔チャンドン・キムシ〕という名称になっている)の勢力を排除したいと願っていた。

そのために、興宣君(フンソングン)と組んで彼の二男の命福(ミョンボク)を王位に就けようと決心した。

そこで、哲宗が世を去ったあとに矢継ぎ早に行動に出た。

興宣君の二男の命福が国王になった(写真提供=© 2020 TV Chosun)​​
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絶大な権力を握った興宣君

まず、趙大妃は彼女の夫であった孝明(ヒョミョン)世子の養子として命福を迎え入れた。この場合、孝明世子は追尊されて翼宗(イクチョン)となっていたので、命福は翼宗の養子として翼成君(イクソングン)に封じられた。

このように翼成君が王位を継承できる資格を得たうえで、趙大妃は王族最長老の権限を使って、翼成君を次期国王に指名した。こうして26代王の高宗(コジョン)が誕生したのである。

時間的な流れを見ると、哲宗が亡くなったのが1863年12月8日で、翼成君が国王になったのが12月13日だった。1週間以内に迅速に王位交代を急いだことで、趙大妃は狙いどおりに王位継承をうまく成立させたのである。

国王が代わったということは、安東・金氏の没落を意味していた。その一方で、絶大な権力を握るようになったのが興宣君だ。彼は、「国王の父」を意味する大院君(テウォングン)の称号を得て、以後は興宣大院君として未成年の高宗を補佐し、政治的な力を持つようになった。

『風と雲と雨』では、興宣大院君を名優のチョン・グァンリョルが演じている。彼は、興宣大院君が権力を得て豹変していく過程を迫力満点で演じていた。

今後の『風と雲と雨』のメインストーリーは、パク・シフが扮するチェ・チョンジュンと興宣大院君の対立構造に移っていく。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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