時代劇『七日の王妃』では、イ・ドンゴンが燕山君(ヨンサングン)に扮している。人気俳優が演じているだけに、燕山君が単純な暴君として描かれるわけがない。そこには、燕山君が暴君にならざるを得なかった生い立ちもからんでくるのだ。
実際、燕山君は父の成宗(ソンジョン)と複雑な親子関係を持っていた。その背景を解説していこう。
成宗は、歴史的に名君と評価されている。彼が統治した時代は平和であったし、国王として法整備を進めたという業績もあった。何よりも、成宗は頭脳明晰で政治の諸問題を的確に解決することができた。
これほどの名君なのに、人間的には難点があった。女性問題が派手すぎたということだ。
なにしろ、3人の王妃と9人の側室が産んだ子供の数は28人ほどいた。
子供が多ければ多いほど様々なトラブルが生じるものだが、成宗を一番悩ませたのが、燕山君を産んだ王妃の尹氏(ユンシ)であった。
尹氏は自分が側室から昇格して王妃になったのに、結婚後も成宗が側室のところばかり通って自分の部屋になかなか来ないことを不満に思っていた。次第に、尹氏は成宗が寵愛する側室を憎悪するようになり、ついにはその側室を毒殺する計画を練った。そのために、毒殺するときに使う砒素(ひそ)を大量に部屋に隠し持つほどであった。
こうした事実が発覚して尹氏は謹慎を命じられ、ついには精神を錯乱させて成宗の顔を引っかいてしまった。その末に死罪になってしまったのだが、幼かった燕山君はそのいきさつを知らず、ただ母親がいないことで寂しさを募らせていった。
しかも、成宗は尹氏が産んだ息子であるという理由で、燕山君に嫌悪感を見せることがあった。これによって、燕山君は鬱屈(うっくつ)した少年時代を過ごすようになった。
さらに、成宗は燕山君に対して厳しい教育を施した。後継ぎの候補であったので、成宗としては燕山君に期待したうえで叱咤(しった)していたのだが、燕山君は次第に父を恨むようになった。その気持ちは大人になってからも変わらなかった。
そして、燕山君は成宗の亡き後に国王になってから、母が死罪になった経緯を奸臣(かんしん)から詳しく聞き、成宗への恨みをさらに募らせていった。
こうした背景を知ると、燕山君への同情も多少は感じられるかもしれない。それによって、彼の悪行が許されるわけでは決してないのだが……。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【写真】【悪役となったイケメン】『七日の王妃』で燕山君を演じるイ・ドンゴン
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