【張禧嬪の息子】『ヘチ』の景宗は本当に「無能の国王」だったのか

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『ヘチ 王座への道』は序盤からスリリングな展開を見せている。4月5日にテレビ東京の韓流プレミアで放送された第5話は、朝鮮王朝の20代王として景宗(キョンジョン)が即位していた。演じていたのはハン・スンヒョンだ。

【写真】『ヘチ』で王様・景宗を演じたハン・スンヒョン

ドラマを見ていると、景宗は本当に情けない国王として出てくる。自分の意見を明確に述べることができず、すべて官僚たちが言う通りしか動けない。あまりに決断力がなさすぎるのだ。それゆえ、公式会議に出席していた高官たちからも馬鹿にされて、周囲から「無能な国王」と呼ばれてしまう。

果たして、史実はどうだったのか。

景宗は1688年に生まれた。父は19代王・粛宗(スクチョン)で、母は張禧嬪(チャン・ヒビン)だった。

景宗の母親は張禧嬪だが『トンイ』ではイ・ソヨンが演じていた(右の景宗の写真=韓国SBS『ヘチ』公式サイトより)

印象を悪くした部分

この張禧嬪が政治力を発揮し、我が子の景宗はわずか2歳で世子になることができた。しかし、肝心の張禧嬪が1701年に死罪となってしまい、以後は後ろ盾がいない寂しさをとことん感じざるをえなかった。

それでも、粛宗の長男であったことが幸いして、景宗は1720年に粛宗の後を引き継ぐことができた。

当時の王朝では、老論派と少論派が激しく争っていた。景宗は少論派によって支えられていたが、老論派のほうが勢力が大きかったので、景宗はかなり苦労させられた。なによりも、老論派の意向には逆らえなかったからだ。

ただし、景宗は『ヘチ 王座への道』で描かれているような「情けない国王」ではなかった。自ら主導権を発揮するほど弁が立つわけではなかったが、政治的な重要案件には自ら決断している。決して暗愚ではなかったのだ。

しかも、性格がとても良かった。彼を慕う臣下も多かったのである。

ただし、悪女として悪名がまさっていた張禧嬪の息子であったということで、印象を悪くした部分もあった。そういう意味では、不運な国王だ。

病弱であったので子供をつくることもできず、1724年に36歳で亡くなった。在位はわずか4年。後を継いだ英祖の在位52年とは、あまりに差が大きかった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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【写真】『ヘチ』で英祖を演じたチョン・イル

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