【深発見56】東莱温泉近くの遺跡を訪ねたときの出来事

2022年03月24日 紀行 #大島裕史コラム
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私はソウルに留学していた1993年の早春、釜山に旅行し、東莱温泉に行ったついでに、福泉洞の古墳群にも立ち寄った。

韓国で買った地図には福泉洞古墳群は表記されていなかった。ただ釜山の地下鉄1号線で、東莱温泉のある温泉場(オンチョンジャン)の隣駅である明倫洞(ミョンニュンドン)の駅から遠くないので、すぐに分かるだろうと思っていた。

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ところが、道行く人に尋ねても、みんな「分からない」の一点張りだ。留学したばかりで、まだ発音が悪かったこともあるが、それにしても、あれほど話題になった古墳群を、現地の人が知らないというのは意外だった。

10人くらいに尋ねただろうか。一人の主婦が、「分からない」と言って通り過ぎようとして立ち止まり、「あれのことかしら」と言って教えてくれて、やっと辿り着いた。

現地に行って、分からないのも無理もない、と思った。「福泉洞古墳群」という石の標識は確かにあるが、雑草に覆われて目立たない。

よほど関心のある人でないと気付かないに違いない。当時の韓国では、古代史への関心はそれほど高くなかった。

それでも、柵を越えて中に入ると、あまり手入れがされておらず、荒涼とはしていたが、規模の大きさは十分に感じられた。

この古墳群は、長さが700メートル、幅が100メートルほどあるという。福泉洞古墳群は、伽倻の構成国の一つ居柒山(コチルサン)国の首長やその配下の墓域と考えられている。

釜山やその周辺は鉄の産地であり、古代には日本にも輸出していた。その力を背景に、かなりの勢力を誇っていたようだ。

2000年秋、再び福泉洞古墳群を訪れる機会があった。その時、変化の激しさに驚かされた。最寄りの駅には、古墳群への方向を示す矢印と、そこに向かうバスの番号が表記されていた。

現地に行くと、石の標識は目立つように置かれ、荒涼としていた土地には芝生が植えられていた。

しかも、遺跡が発掘された場所には、濃い緑の植え込みがされており、一目で分かるようになっていた。そのうえ、この地で発掘された物を展示する博物館まで建てられていた。

韓国は軍事政権時代、道知事や大都市の市長は政府が任命していた。そのため中央志向が強く、地域の文化はほとんど顧みられなかった。

民主化が実現した後の1995年6月、34年ぶりに道知事や大都市の市長選挙が行われた。
韓国でもようやく「地方の時代」の意識が芽生えたのだった。

それにともない各地に、その土地の文化を紹介する展示館が建てられるようになった。この福泉洞古墳群をはじめ、韓国各地を回ると、それを実感する。

文・写真=大島 裕史

大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。

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