俳優として目覚しい活躍をしているチョン・ヘイン。知性を感じさせるキャラクターだが、彼は朝鮮王朝の名門の出身だ。というのは、チョン・ヘインの6代上の先祖が、朝鮮王朝を代表する博学の偉人、丁若鏞(チョン・ヤギョン)なのである。
【写真】『D.P.-脱走兵追跡官-』で見せたチョン・ヘインのカッコよさ
この偉人がどれほど凄い人なのか。
朝鮮王朝には博学な人がたくさん輩出しているが、その中でも突出して名著をたくさん作りだした「知の巨人」が丁若鏞なのである。
彼は、1762年に生まれ、1789年に科挙に合格した。以後、官僚として出世し、実学で様々な成果を出したが、キリスト教徒を弾圧した1801年の事件によって流罪となり、17年間も配流生活を送った。その期間に『牧民心書』を初め不朽の名著をたくさん執筆し、社会の発展に大きく貢献した。
この丁若鏞は、パク・ボゴムが主演して孝明世子(ヒョミョンセジャ)を演じたドラマ『雲が描いた月明り』にも登場する。俳優のアン・ネサンが丁若鏞を演じていたが、ドラマでも博学ぶりが存分に発揮されていた。
史実でも丁若鏞は孝明世子と関係があった。
孝明世子は21歳だった1830年に急に喀血して重病になったが、治療チームに特別に要請されて加わったのが丁若鏞だった。なにしろ、彼は漢方薬の知識がとてつもなく優秀だったからだ。
そして、丁若鏞は孝明世子を診察して、「症状に合う薬が自分のところにあります」と言って、特別な処方箋を作った。
しかし、丁若鏞の家は王宮からあまりに遠すぎた。孝明世子に必要な薬を取り寄せている間に、彼の病状が急変してわずか21歳で亡くなってしまった。
「丁若鏞の家が王宮からもっと近ければ……」
誰もがそう思ったが、孝明世子の運命を変えることはできなかった。
丁若鏞が亡くなったのは1836年である。それから152年が経って、丁若鏞の6代下の子孫としてチョン・ヘインが生まれている。彼は、韓国で知らない人がいない偉大な先祖を心から慕っていることだろう。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
■【関連】『雲が描いた月明り』に登場する茶山とは誰のことなのか
前へ
次へ