パク・ボゴムが主人公のイ・ヨンを演じて話題を呼んだ『雲が描いた月明り』。このドラマの中で、イ・ヨンを助ける茶山(タサン)という人物が出てくるのだが、彼はいったいどんな人物なのだろうか。
『雲が描いた月明り』で、茶山先生を演じたのはアン・ネサンである。彼は、時代劇なら本当におなじみの俳優で、『雲が描いた月明り』では朝鮮王朝史上で最高の実学者と言われている丁若鏞(チョン・ヤギョン)に扮していた。
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丁若鏞の号は茶山なので、ドラマでも茶山先生と呼ばれていた。果たして、どんな人物だったのだろうか。
生まれたのは1762年。頭脳明晰な人間で、早くからイ・サンこと正祖(チョンジョ)の統治時代に頭角を現し、出世街道を上っていった。
正祖は、非業の最期を遂げた父親の思悼世子(サドセジャ)の墓を水原(スウォン)に移し、さらに華城(ファソン)と呼ばれている城郭を作ったが、このときに当時とてもめずらしい起重機を作って、華城の建設に大変な貢献をしたのが丁若鏞であった。
とにかく朝鮮王朝の歴史に残る大人物であったのだが、1801年に失脚してしまう。それはなぜなのか。
正祖が1800年に亡くなった後、息子の純祖(スンジョ)が後を継いで23代王となったが、まだ10歳と若かったので悪名高き貞純(チョンスン)王后が代理聴政を行なった。
貞純王后は、キリスト教徒に政敵が多いという理由でキリスト教徒の大弾圧を行なった。このとき、丁若鏞の親族にキリスト教徒が多いという理由で彼は流罪となり、都から追われてしまった。
しかし、その不遇の時代に丁若鏞は学者として優れた業績を残し、数々の名著を書いている。
言ってみれば、丁若鏞が朝鮮王朝最高の実学者と呼ばれているのも、流罪のときに執筆に専念できたからなのであった。
人間、何が転機になるかわからない。
その後、罪を許されて丁若鏞は都に戻ってきたのだが、様々な政変の中で波瀾万丈な人生を送った。最終的には、漢方薬に関してすばらしい見識を持っており、医者としても能力を発揮している。
なお、『雲が描いた月明り』では、パク・ボゴムが演じたイ・ヨンとアン・ネサンが演じた丁若鏞は、頻繁に会ってお互いに意見の交換を行なうのだが、2人が本当に会ったのはイ・ヨンこと孝明世子(ヒョミョンセジャ)が重病に陥って床に伏せているときだった。
王族に仕える侍医たちでは手の施しようがなくなり、丁若鏞に診察を願ったのである。
1830年5月5日、丁若鏞は孝明世子を診察したが、もはや助かる見込みはなかった。それでも丁若鏞は最善を尽くそうと思い、自分のところにある薬を取り寄せようとしたのだが、使いの者が来る前に孝明世子は5月6日に亡くなってしまった。
孝明世子にしてみれば、最期に当代随一の丁若鏞に診てもらったのが、せめてもの慰めだったかもしれない。
丁若鏞にしてみれば、優秀な世子であったイ・ヨンこと孝明世子を診察した身として、助けることができなかったのを悔やんだことだろう。もし、そこでイ・ヨンを助けることができていたら、朝鮮王朝の歴史はいい方向に歩むことができたのではないかと思う。
構成=大地 康
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