朝鮮王朝の21代王だった英祖(ヨンジョ)が、最近は時代劇に出てくる回数が多くなってきた。チョン・イルが『ヘチ 王座への道』で若き英祖を颯爽と演じたことがまだ記憶に新しいが、今度は2PMのジュノがイ・サンを演じた『袖先赤いクットン』(原題)でも、老年になった英祖を重鎮俳優のイ・ドクファが演じて強烈な存在感を放っていた。
【写真】時代劇で国王を演じる時のチョン・イルがかっこよくて魅力的
史実の英祖が際立っていたのは、朝鮮王朝史上でナンバーワンの在位52年という記録だ。これだけ長く国王であったので、時代劇で取り上げられる割合が高いのも当然だろう。しかも、『トンイ』のヒロインだった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の息子だったという事実も、現在の韓国で英祖が好意的に受け入れられている理由かもしれない。
そんな英祖が生まれたのは1694年であった。この年は朝鮮王朝にとって大変重要な事件が起きている。
それは何かと言うと、悪女としてあまりに有名な張禧嬪(チャン・ヒビン)が王妃の座から降格して再び側室に戻った年なのである。
王妃は朝鮮王朝518年間に合計42人いたが、廃妃になった人は何人もいるのに、側室に降格したのは張禧嬪だけであった。その事実を見ても、張禧嬪という女性の特異性が顕著になっている。
つまり、よほどのことなのだ。その原因となったのは、粛宗に寵愛されていた淑嬪・崔氏の毒殺未遂が告発されたからだ。そんな事件の首謀者と目されたのが、張禧嬪の実兄の張希載(チャン・ヒジェ)だ。こうなると、張禧嬪の立場も悪くなってしまう。
しかし、それだけが理由ではない。一番決定的だったのは、あれほど張禧嬪に執心していた粛宗の気が変わり、今度は淑嬪・崔氏だけを偏愛するようになったことだ。
こうなると、張禧嬪のことが疎ましくなってくる。性格がはっきりしていた粛宗は張禧嬪を王妃から側室に降格させて、先に廃妃にしていた仁顕(イニョン)王后を王妃に復帰させた。
粛宗はそうやって自分の気が済むように形を整えて、心情的に淑嬪・崔氏にのめりこんでいった。そして、1694年の秋に英祖が誕生した。
このように、英祖は波乱万丈の中で生まれてきた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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