朝鮮王朝の21代王・英祖(ヨンジョ)と言えば、朝鮮王朝27人の王の中で一番長生きした王として知られている。この英祖が登場するドラマとして記憶に新しいのは、チョン・イルが若き日の英祖を演じた『ヘチ 王座への道』や、2PMジュノがイ・サン役を務めた『袖先赤いクットン』(原題)だろう。
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ちなみに、『袖先赤いクットン』では、『花たちの戦い~宮廷残酷史~』や『あやしいパートナー』に出演していた俳優のイ・ドクファが英祖を演じている。
他のも『イ・サン』や『秘密の扉』など数多くの作品に登場している英祖は、『トンイ』でおなじみの19代王・粛宗(スクチョン)と側室の淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の息子として生まれた。王になる前は延礽君(ヨニングン)という名前だった。
しかし、1720年に亡くなった粛宗の後を継いで20代王となったのは、粛宗と朝鮮王朝三大悪女の1人である張嬉嬪(チャン・ヒビン)の間に生まれた景宗(キョンジョン)だった。
その後、景宗を支持する少論派(ソロンパ)と延礽君を支持する老論派(ノロンパ)による派閥争いが起こった。
結果として、少論派が政権を握ったことで老論派は追放されるが、景宗がわずか在位4年2カ月で世を去り、その景宗に息子がいなかったため、延礽君が21代王・英祖として即位した。
英祖といえば、各派閥から有能な人材を採用する「蕩平策(タンピョンチェク)」という政策を行ない、功績を残している。
しかし、その一方で息子を餓死させるという悲劇を起こしているのである。
英祖は荘献(チャンホン)という息子がいた。生まれつき聡明だった荘献だが、10歳のときいくつかの政策を批判してしまう。
そのことで荘献を警戒した老論派の者たちの言葉に惑わされて、息子を米びつに閉じ込めてしまう。
最終的に荘献は米びつの中で餓死してしまうが、そのことを深く後悔した英祖は荘献に「思悼(サド)」という名前を送っている。
もし、この悲劇が起こらずに思悼世子は王になっていたら、朝鮮王朝の歴史はどうなっていたのだろうか。
文=大地 康
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