【王の生涯】大韓帝国の初代皇帝となった朝鮮王朝の26代王は誰?

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朝鮮王朝の26代王として即位した高宗(コジョン)。彼が登場する韓国時代劇には、『朝鮮ガンマン』『緑豆の花』『風と雲と雨』などがある。

『風と雲と雨』は、朝鮮王朝の25代王・哲宗(チョルジョン)の統治時代の終盤を舞台に描かれたドラマである。

この作品で、後に26代王・高宗となるイ・ジェファンを俳優のパク・サンフンが演じているが、この高宗は王としてどんな人生を歩んだのだろうか。

高宗は、『風と雲と雨』でチョン・グァンリョルが演じている興宣大院君(フンソンデウォングン)の息子として1852年に生まれた。

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それから11年後の1863年に先王である哲宗が世を去ったことにより、高宗が26代王として即位する。当時、11歳だった高宗の代理で政治を行なったのは父親の興宣大院君である。

こうして朝廷の実権を握った興宣大院君は、平等な人材登用をしたり、安東・金氏(アンドン・キムシ)の勢道(セド)政治を抑えるなど、高宗が王となってから10年の間、自分の思うように政治を動かした。そんな興宣大院君の政治は長くは続かなかった。

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王として何をしたのか

その理由は、息子の高宗が成人となって王権の行使を望んだことと、彼の王妃である明成(ミョンソン)皇后が興宣大院君を追い出そうとしていたからだ。

1873年に興宣大院君が政界から退いたことで高宗の親政が始まり、王妃である明成皇后の親族が政権を握ったのである。

1875年から朝廷を威嚇して江華島(カンファド)に侵入してきた日本と、1876年に「日韓修好条約」(「江華島条約」とも呼ばれる)を結んだ高宗は、釜山や元山(ウォンサン)港を開港させる。

その後も、アメリカやフランスと条約を結んで開港政策を進めたことで、守旧派と開化派の対立が激しくなったり、1895年に明成皇后が暗殺されるなどの事件に巻き込まれてきた高宗。

そして、1907年に日本によって退位させられた彼は、1910年の日韓併合によって「李太王(イテワン)」と呼ばれたが、その9年後に68歳で世を去った。

このとき、朝鮮王朝に高宗が日本に毒殺されたという噂が広まり、彼の国葬後に独立を目指す「三・一運動」が起きている。

文=大地 康

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