丙子胡乱(ピョンジャホラン)の屈辱を今日に伝える三田渡碑から歩いて10分ほどの所に、地下鉄8号線の石村(ソクチョン)駅がある。
そこから蚕室と反対方面に向かって、6つ目の山城(サンソン)駅で降りて、バスで行くことになる。
私が南漢山城に行った時、旅の疲れもあり、バスの中でウトウトと寝てしまった。バスは20分ほどで、終点の南漢山城に着いた。
ところが、山城と言っても、ただ平地が続くだけで、それらしいものは見当たらない。
バス停の近くで屋台を出しているハルモニ(おばあさん)に、「南漢山城は、どうやったら行けますか?」と聞くと、一瞬困った顔をして、「城南(ソンナム)方面ならこっち、広州(クァンジュ)方面ならこっち」と、指をさして言った。
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要領を得ない答えに私は戸惑ったが、困惑したのは、そんな質問をされたハルモニの方であっただろう。
ソウルの松坡(ソンパ)区、城南市、広州市、河南(ハナム)市に囲まれ、周囲を500メートル台から300メートル台後半の高さの山々に囲まれた南漢山城であるが、山城の城壁の内側は、かなり広い平地になっている。
それゆえ、防御に適し、籠城にも向いた城であった。
私がウトウトとしている間に、バスはトンネルを通って、既に山城の中に入っていたのだ。したがってハルモニとしても、答えようがなかったであろう。
バス停から少し行った所に、丙子胡乱の絵が展示された南漢山城歴史館があり、その隣に管理事務所がある。まず管理事務所で地図〈日本語版もある〉をもらい、バス停から近い北門に向かうことにした。
南漢山城は山の中にあるとは言え、ソウルなどからの行楽客も多いとあって、飲食店もかなりある。そうした飲食店の間を通った坂道を登っていくと、次第に山道に変わった。
私は普通の街歩きの恰好であったが、すれ違う人の中には、きちんと登山靴を履いている人もかなりいた。
坂道を登っていくと、ほどなく北門が見えた。南大門(ナムデムン)、東大門(トンデムン)といった都の表玄関としての優美さも兼ね備えたソウルの門と違い、南漢山城の門は、しっかりとした石積みの上に、監視用の望楼が置かれ、まさに戦うための城の武骨さと力強さがある。
さらにその両端に、城壁が連なり、その城壁はひたすら続いた。城壁は、全長11・76キロにも及ぶ。
私はそこからソウルの見える、西側に向かった。ヒノキ林のさわやかな空気を吸い、鳥の鳴き声を聞いていると、ソウルと目と鼻の先にいることを忘れそうになるくらい、ゆったりとした気分に浸れる。
文・写真=大島 裕史
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