朝鮮王朝の歴史を見ていくと、国王が毒殺されそうになった、という事件はかなり起こっている。
たとえば、12代王の仁宗(インジョン)も毒殺されたのではないかと推定されているし、ドラマ『イ・サン』の主人公になった正祖(チョンジョ)も急死したときは毒殺説が盛んに起こっていた。
国王は絶対的な権力者であるだけに、政権を奪おうとする反逆者が毒殺を強行するのは珍しいことではなかった。
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光海君(クァンヘグン)をクーデターで追放して王位に就いた16代王の仁祖(インジョ)も、毒殺を仕掛けられた、といわれる事件が起こっている。それは1646年1月のことであった。
仁祖の食膳にアワビの焼き物が置かれたが、それを毒味してみると、毒が盛られていた。
一大事とばかりに、王宮の中が大騒動になった。
疑われたのが姜氏(カンシ)であった。彼女は昭顕(ソヒョン)世子の妻であったが、夫は1645年に急死している。
しかし、王位を奪われることを恐れた父親の仁祖が昭顕世子を毒殺したのではないか、という噂が立っていた。つまり、姜氏には恨みを晴らすという動機があったのだ。
姜氏はすぐに容疑者に仕立てられてしまった。
しかし、王宮の中では「毒殺事件を捏造したのは趙氏(チョシ)ではないか」と疑われるようになった。
趙氏というのは仁祖の側室であり、悪女としてあまりに有名だった。しかも、監視されていた姜氏が国王の食膳に毒を盛るのは不可能と目されていた。
それなのに容疑者にされた姜氏は、趙氏と極端に不仲だった。
姜氏に罪を着せるために、趙氏が陰謀をたくらんだ、というのが多くの人の意見だった。
それでも、仁祖に寵愛されていた趙氏はなんでもできる立場だった。彼女は姜氏の女官を拷問して、偽りの毒殺を自白させた。
その末に、姜氏は仁祖の命令で死罪になってしまった。
それだけではない。姜氏の兄弟たちは処刑され、息子3人は島流しになった。しかも、息子のうち2人は不自然な形で絶命した。
なんという理不尽なことなのか。昭顕世子の一家は滅ぼされてしまったのだ。こうして、仁祖は側室の趙氏と結託して、国王にあるまじき非道な悪事に手を染めた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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