朝鮮王朝で有名な三大悪女は果たしてどんな最期を迎えたのか

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韓国時代劇を見ていると、本当に悪女がたくさん登場する。裏で悪徳高官と結託する女官だったり、悪事を働いて国王に気に入られようとしたり、政治権力を陰謀に使おうとする王族女性だったり……。そんな悪女が歴史ドラマに多く出てくる。

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そんな悪女の中でも、「朝鮮王朝の三大悪女」と言われるのが、有名な3人の悪女だ。それは、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)である。彼女たちは、悲惨な最期を迎えている。果たして、人生の終わりはどのようになっていたのか。

左から時代劇ドラマでの張緑水、鄭蘭貞、張嬉嬪(ドラマ『張緑水』=Licensed by KBS Media Ltd. ⓒ 2008 KBS. All rights reserved、SPORTS KOREA)

具体的に見てみよう。

悪女らしい死に方

最悪の暴君と言われた燕山君(ヨンサングン)の側室だった張緑水は、1506年に燕山君がクーデターで廃位になったあと、後ろ盾を失って一人ぼっちになり、ついには市中でさらし者になってしまった。

彼女は最後に首をはねられて、遺体がほったらかしにされた。すると、その遺体に向かって、多くの人が石を投げつけてしまった。しまいには、遺体の上に石塚ができたと言われている。それほど多くの人に憎まれたわけで、悲惨な末路だった。ここまで人々から憎まれていた。

鄭蘭貞の最期もあまりに悲しかった。

彼女は夫の尹元衡(ユン・ウォニョン)と王宮の中で様々な悪事に手を染めたが、1565年に没落し、復讐を恐れて地方に逃亡した。しかし、厳しい追手を恐れ、ついに観念して鄭蘭貞は毒薬をのんで自害した。さらに、尹元衡も後を追って死んだ。こうして、「悪の夫婦」は人々の恨みの中で共倒れした。

3人目の張禧嬪は、1701年に粛宗(スクチョン)の妻であった仁顕(イニョン)王后が亡くなったとき、彼女を呪詛(じゅそ)していた罪を問われた。世子(テジャ)の母親であったにも関わらず、粛宗の王命によって死罪になった。

そうした場面は、『トンイ』をはじめとした数多くの時代劇で描かれていた。

結局、三大悪女は斬首、自害、死罪という最期だった。

悪女らしい死に方だったと言えるかもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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