朝鮮王朝の国王は、みんな「李(イ)」という姓を持っている。
たとえば、初代王の太祖(テジョ)は李成桂(イ・ソンゲ)だし、3代王の太宗(テジョン)は李芳遠(イ・バンウォン)であった。よって、国王だけでなく朝鮮王朝の王族男子もみんな「李」という姓で呼ばれていた。
【王朝の真実】総勢42人の王妃の中で子に恵まれなかったのは何名?
それでは、王妃の場合はどんな姓が多かっただろうか。
具体的に見てみよう。
まず、朝鮮王朝の王妃の場合は国王と同じ「李」ではいけないので、「李」以外の姓を持った女性が選ばれた。
歴代王27人の妻となった王妃は42人いたのだが、一番多いのが「金(キム)」の10人で、その次が「尹(ユン)」の6人であり、三番目に多かったのが「韓(ハン)」の5人だった。
この3つの姓が王妃のベスト3だったと言える。
まず「金」は、昔も今も朝鮮半島で一番人口が多い姓だった。今でも20%以上の人が「金」という姓を名乗っている。
まさに圧倒的に多い姓なので、その割合によって王妃の中で「金」がとても多かったのである。
その一方で、「尹」と「韓」は五大姓(人口が多い5つの姓のこと)に全く入っておらず、人口が多いから「尹」と「韓」の姓の割合が高くなったわけではない。
この「尹」と「韓」の一族から王妃がたくさん出てきたのには理由がある。
実は朝鮮王朝が建国されてからしばらくの間は、「尹」と「韓」の一族からとても多くの高官が誕生していたのである。朝鮮王朝が国を大きくしていく過程で、それだけ功績が多かったということだ。
朝鮮王朝は完全なる儒教社会であり、家の格を重んじる傾向がとても強かったと言われている。
その中で、「尹」と「韓」はとても家柄がいいと言われており、そうした一族から次々と王妃が選抜されていった。
ただし、朝鮮王朝の後期になると相変わらず「金」という王妃は多かったが、「尹」と「韓」はとても少なくなってしまった。
代わって「閔(ミン)」という姓が非常に多くなった。この「閔」は4人いて、王妃の姓としては四番目の多さになった。
やはり、王妃の姓にも時代が反映していたのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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