時代劇の『七日の王妃』では、主役のパク・ミニョンの美しき王妃が大評判になった。その王妃は、歴史的には端敬(タンギョン)王后と呼ばれているのだが、歴史に翻弄された美女であった。どんな史実があったのだろうか。
それは1506年のことだった。
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当時は「最悪の暴君」と呼ばれた燕山君(ヨンサングン)が王になっていたが、恨みを抱く高官たちが多かった。彼らはクーデターを決行した。
高官たちは最初に、燕山君の異母弟にあたる晋城大君(チンソンデグン)の説得に向かった。燕山君を追放したあと、新しく晋城大君を王位に就けるためである。しかし、計画を何も知らなかった晋城大君は、多くの武人が自邸に押しかけてきたことに仰天してしまった。
「殺されるに違いない。もはや、これまでか……」
晋城大君は震えた。
彼はそれまでに燕山君から脅迫まがいの嫌がらせを数多く受けてきた。それだけに恐怖心が強く、自邸に押し寄せた武人を見て、燕山君が送り込んできた刺客たちと錯覚したのである。
後がないと覚悟した晋城大君は自決しようとした。それを必死で止めたのが夫人の慎氏(シンシ)だった。彼女は武人の様子をうかがい、決して刺客たちではないと悟ったのだ。こうして招き入れられたクーデター派は、晋城大君をかついで挙兵した。
このクーデターは成功し、晋城大君は11代王・中宗(チュンジョン)として即位した。ただし、即位式では正式な冠服を着られなかった。あまりに急で準備が間に合わなかったのだ。それほど中宗の即位は異例だった。
しかし、すぐに問題となったのが、中宗の正妻である慎氏だった。彼女は端敬王后になっていたのだが、立場が難しかった。なぜなら、新たな王妃は「燕山君の正妻の姪、父親が燕山君の側近」だったために、完全に燕山君派と見られたのだ。
そこで、クーデターを成功させた高官たちは、端敬王后の廃妃を主張した。
普通なら、王の意思は絶大で、臣下がくつがえせるものではなかった。しかし、中宗の場合は事情が違った。彼は最終的にクーデターの功臣たちに逆らうことができなかった。そこが、「祭り上げられた王」の弱さであった。
中宗は泣く泣く妻を離縁した。それによって、端敬王后はわずか1 週間で王妃の座から降りなければならなかった。時代劇のタイトルになっている『七日の王妃』は、主人公となった端敬王后の悲しき運命を表していた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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