時代劇『トンイ』では、王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后(演者パク・ハソン)が王宮に戻ってきた時、粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)は「余を許してくれ。こんなひどい目にあわせてしまった余を…」と必死に謝罪していた。国王とはいえ、しっかりと反省の気持ちを表していたのだ。
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しかし、それはあくまでもドラマでの話だ。史実では、粛宗がどんな態度で仁顕王后を迎えたのだろうか。正式な歴史書『朝鮮王朝実録』の記述から当時の状況を振り返ってみよう。
1694年3月29日、張禧嬪(チャン・ヒビン)の実兄の張希載(チャン・ヒジェ)が、粛宗の側室の淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)を毒殺しようとしたことが発覚し、張禧嬪は王妃から降格となった。そうなると、王妃の座が不在となってしまう。
そこで、粛宗は廃妃になっていた仁顕王后を復位させることにした。それを正式に発表したのが、1694年4月12日だった。粛宗は重臣たちを前にして、このように話を切り出した。
「最初は悪い臣下たちにそそのかされて間違って処分してしまったが、ようやく本当のことを悟った。恋しい気持ちは時間が経つごとに深くなった。そのことを考えれば、1日がむなしいばかりだ。その心境をどうやってわかってくれるのか」
この発言の中で粛宗は「仁顕王后を廃妃にしたのは悪い臣下たちのせいだ」と弁明している。まさに他人に責任を転嫁している。この発言を聞く限り、粛宗も心から反省していない感じがする。さらに彼は言っている。
「昔の縁をまた結ぼうとしたが、国家に関わることを変えるのは簡単ではない。ようやく凶悪な者たちを処分することができたので、王妃をこうして迎えられる」
粛宗も今度は国家を持ち出している。「自分が悪かった」という一言が言えず、まわりくどいことばかり言っている。その末に彼は「国が安泰を取り戻し、このように王妃が復位した」と結論づけている。どうやら粛宗は自分の過ちを絶対に認めないタイプのようだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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