Netflixで大人気の『暴君のシェフ』で強烈な個性を見せていたのが、インジュ大王大妃(演者ソ・イスク)であった。彼女は重要な場面で存在感を示すキーパーソンだ。このインジュ大王大妃は歴史的に仁粋(インス)大妃を彷彿させる。
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この仁粋大妃は、朝鮮王朝最高の知性を持っていた。そもそも、王族の女性でも深い学問を積んでいたわけではなかった。そんな中で、仁粋大妃ほど知識が豊富な女性は他にいなかったと言われている。
彼女の名を王朝史に刻んだ重要な出来事は、王族女性のための修身の教科書といえる「内訓(ネフン)」を執筆したことである。この「内訓」は、仁粋大妃がこの世を去った後も数百年にわたり読み継がれ、その輝かしい影響は後世にまで及んだ。
そんな仁粋大妃が『暴君のシェフ』のインジュ大王大妃のモデルになっている。ドラマと関連するエピソードを紹介しよう。
1479年、廃妃となり実家へ帰された尹氏(ユンシ/9代王・成宗〔ソンジョン〕の二番目の正室)は、かつての華やかさを失い、貧しさに沈む生活を余儀なくされた。
王宮の中にはなお尹氏を惜しみ、彼女を救うべきだと声を上げる高官もいた。切なる訴えに成宗は心を動かされ、使者を送って尹氏の暮らしぶりを確かめさせた。
実際の彼女は静かに反省を示し、誠実な日々を送っていた。使者はありのままの姿を報告しようとしたが、王宮に戻る途上で女官に呼び止められ、仁粋大妃の前に連れ出された。
仁粋大妃は使者に鋭い眼差しを注ぎ、尹氏はまったく反省していないと殿下に報告せよ、と命じた。背けば命を落とす恐怖が待ち構えていたので、使者は真実を曲げて報告をした。烈火のごとく怒った成宗は尹氏の死罪を決し、非情な裁きを下した。
このとき尹氏が産んだ長男は、まだ6歳の幼子であった。父である成宗は「100年間は廃妃の問題を語るな」と厳命した。そして、1494年に成宗が亡くなってから即位したのが10代王・燕山君(ヨンサングン)だ。
幼くして母の真相を知らぬまま育った彼に、権勢を求める奸臣が成宗の遺言を破ってすべてを語ってしまった。すでに暴君として悪名を轟かせていた燕山君は、母の悲劇を知るや怒りに震え、関わった者たちを容赦なく虐殺した。
惨劇の中で仁粋大妃は孫を戒めようとした。しかし、燕山君は彼女こそ母の死に関わったことを悟っていた。激情のままに祖母へ暴力をふるい、その衝撃が仁粋大妃の命を縮め、彼女は1504年に67歳で生涯を閉じた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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