日韓歴史探訪1/朝鮮通信使が愛した“日東第一形勝”とは何か

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江戸時代に来日した朝鮮通信使(朝鮮王朝が派遣した外交使節)。その一行が宿泊した場所として有名なのが、広島県“鞆(とも)の浦”にある福禅寺だ。

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瀬戸内海に面した鞆の浦まではJR福山駅から車で20分ほどだ。岬の先端に“瀬戸内海国立公園  鞆の浦”という表示の看板が立っていた。そこから見える海は凪いでいて、陽光を浴びた水面がキラキラと輝いていた。

続いて、海とは反対の方向を見ると、台地の上に甍が大きな寺が見えていた。それが福禅寺で、海側に付属施設の対潮楼がある。海に迫る台地の上にあるので、そこからの眺めがとてもいい。

福禅寺
朝鮮通信使の宿舎になった福禅寺

もともと、福禅寺は平安時代の天暦年間(950年頃)に創建されたといわれている。鎌倉時代から室町時代に隆盛を誇った寺で、航海の安全を祈願する人が多かった。そして、本堂の海側に付設された対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年代)に作られている。

本堂だけでなく対潮楼という広くて優雅な展望部屋を備えるほどだから、当時の福禅寺は相当に有力な寺であったことだろう。朝鮮通信使の宿舎や休憩場所として重宝されたのも、相応の理由があったのだ。

朝鮮通信使が見た景観

今も海に面した対潮楼を訪れる人が多い。大広間から瀬戸内海の風光明媚な景観が一望できることが大きい。朝鮮通信使の一行もこの対潮楼からの景観をいつも絶賛していて、1711年に来日した第8次使節団の従事官だった李邦彦(イ・バンオン)は、この対潮楼からの眺めを称賛して“日東第一形勝”という揮毫を残している。

瀬戸内海
対潮楼から見た瀬戸内海

この場合の日東とは日本のことであるが、その書は扁額となって今も対潮楼の大広間に掲げられている。実際、大広間の窓側に座って海を見ると、狭い水路の向こうに、重なるように島々が見えている。

特に、窓枠を額縁に見立てると、すばらしい山水画を見ているような錯覚に陥る。まさに、300年以上も前に朝鮮通信使が見た景観を今も同じように見ることができる。それだけに、“日東第一形勝”と称賛する気持ちもよくわかる。

文・写真=康 熙奉(カン・ヒボン)

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