韓国の仁川(インチョン)で中華街が形成されたのは、1884年にこの地に清国の領事館が開設されてからのことである。その後は山東省などからの商人が大挙移住して、一時は1万人近くになったことがあった。
やがて彼らの多くの差別を受けるなどして去っていくことになるが、仁川に移住した華僑は、韓国人の生活に大きな影響を与える食べ物を生み出すことになる。それが、チャジャン麺(ミョン)だ。
一般に韓国料理と言えば、焼き肉を思い出すかもしれない。しかし焼き肉は、そうたびたび食べられるものではない。老若男女、お金持ちにもそうでない人にも、広く愛されているのが、チャジャン麺である。
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チャジャン麺は、タマネギやひき肉などを黒味噌で炒めた具を、ゆでた麺にかける料理だ。料金が日本円で300円前後と安いうえに、注文してすぐ出てくるので、早いことを好む韓国人にフィットした。
おまけに、どこでも出前してくれる。あまり客の入っていないスポーツの試合などでは、中華料理店の店員が、チャジャン麺を銀色の出前ケースに入れて配達している光景をよく見る。市場のアジュンマ(おばさん)たちも、銭湯の脱衣場で花札に興じるアジョシ(おじさん)たちも、出前のチャジャン麺を食べている。
チャジャン麺は、具のあんと麺をよく混ぜて絡ませて食べるのが基本だ。社会的地位を問わず、チャジャン麺を混ぜる時ほど、幸せそうな韓国人の顔を、そう見たことがない。
具が皿に残ることがないよう、麺に丹精込めて絡ませる。しかしいくら一生懸命混ぜても、食べ終わると具は皿の中に残ってしまう。時には、麺に絡ませた具が飛び散って、シャツが汚れることもある。思うに任せないのは人生も同じで、どこか哲学的だ。
仁川の中華街を歩いていると、中華料理店の店先に、「辛くないチャンポンあります」という張り紙があった。
私がまだ韓国語がよく分からないで韓国を旅行していた頃、中華料理店に入っても、メニューはハングルで、文字は読めても意味はほとんど分からなかった。
そこに「チャムポン」の文字。これはチャンポンに違いないと思って注文した。出てきた料理の具を見ると、確かにチャンポンであった。しかしスープは赤くギトギトとしていた。ギョッとしたが、観念して食べているうちに、体中汗まみれになった。
ラーメンや餃子などが日本化したように、韓国でもまた、チャジャン麺など韓国化した中華料理が発達するようになる。その発信地が仁川であった。
文・写真/大島 裕史
大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。
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