『ヘチ』と『イ・サン』の奇妙な“縁”。世弟ヨニングンの40年後が『イ・サン』のあの人だった!

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『ヘチ 王座への道』はNHKの総合テレビで毎週日曜日に放送されているが、このドラマが描いているのは、時代で言うと20代王の景宗(キョンジョン)が統治していた頃だ。景宗は1720年に即位して1724年に亡くなっている。この4年間、ヨニングン(延礽君)は世弟(セジェ/王の正式な後継者となる弟)となっていた。

この身分には反対が多く、それによってドラマでは様々な対立が起こる。それは、史実でも同じようによく起こったことだった。

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そうした問題を克服して、ヨニングンは1724年に景宗が世を去ったあとに、21代王の英祖(ヨンジョ)として即位した。

このとき、英祖は30歳だった。つまり、『ヘチ 王座への道』というドラマは英祖の20代後半の人生がモチーフになっていたのだ。まさに、このドラマは「低い身分の母から生まれた王子が苦労の末に国王になるまでを描いている」というわけだ。

写真=韓国SBS『ヘチ 王座への道』韓国ポスター

生涯の痛恨事

ところで、英祖を取り上げている時代劇の中で一番愛された時代劇といえば、それはおそらく『イ・サン』であるに違いない。

「時代劇の巨匠」と呼ばれるイ・ビョンフン監督が演出した『イ・サン』は、暗殺の危機にさらされた世子(セジャ)が困難の末に成長して立派な国王になる過程を丹念に描いていて、イ・ソジンが主役のイ・サンを演じて大人気となった。

この作品の前半で大活躍したのが、名優イ・スンジェが演じた英祖だった。孫のイ・サンを立派に成長させていく教えは、ドラマでも数々の名場面になっていた。

その中でも特に印象深いのが序盤だった。英祖が息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させてしまう事件が細かく描かれていた。

このときの英祖こそがまさに若き日のヨニングンの晩年なのである。それは1762年の出来事だった。『ヘチ 王座への道』のときのヨニングンからは40年ほどが過ぎていた。

この間、英祖は名君として数多くの政治的な実績を残していた。しかし、息子を米びつに閉じ込めたことは、生涯の痛恨事として残っている。

英祖は52年間も王位に就いていた国王だが、若き日のヨニングン時代のような鷹揚さは消えて、晩年はとても偏屈だったと言われている。かくも40年以上という歳月は長かったのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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