時代劇『トンイ』の前半の転換点が仁顕(イニョン)王后の廃妃であった。それは、1689年4月21日のことだった。粛宗(スクチョン)はその後、すぐに動いている。1689年5月6日、彼はわずかな高官だけを集めて、一方的な発表を行ったのだ。
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側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃に昇格させたいという話なのだが、当時の様子を『朝鮮王朝実録』の記述に従って振り返ってみよう。
「今は王妃がいないのだが、早く新しい王妃を決めなければならない。張禧嬪は王宮に入ってきてからも徳を積み、王妃になるのにふさわしいと考えている。そこで、彼女を王妃に昇格させたいので、礼節に沿って実行せよ」
高官たちは困惑した表情を浮かべた。あまりに急な話だったからだ。臣下を代表して権大運(クォン・デウン)が申し上げた。
「あまりに重大なことですから、(品階が)二品以上の者たちを集めて改めて検討するのがふさわしいと思われます」
この発言を聞いて粛宗は急に怒りだして、控えている権大運をにらんだ。彼は臣下たちの発言に強く反応する性格だった。
「多くの者と一緒に議論しようというのか」
さらに粛宗は言葉をつないだ。
「余は前例にしたがって諸君たちをこのように呼んだのである」
ここまで言っても粛宗は高官たちから「大事な問題ですから、多くの者たちが納得するほうがよろしいのではないでしょうか」と返されてしまった。さすがの粛宗も承諾するしかなかった。彼は二品以上の高官たちを招集するように命じた。
その席で権大運は大事なことを粛宗に尋ねた。
「殿下は新しい王妃をいつごろ決めたいのでしょうか」
すると、粛宗は自信を持って答えた。
「すでに暦を調べてあるのだ。まさに、今日が吉日なのである」
この言葉を聞いて、高官たちは驚いてしまった。粛宗の性急な性格に困惑したのである。このように粛宗は自分のペースで大事なことを進めていった。そして、張禧嬪の王妃昇格が正式に決定したのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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