『トンイ』が生きた朝鮮王朝の建国時にはどんな大事件があったのか

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テレビ東京で放映中のドラマ『トンイ』は朝鮮王朝時代を描いたドラマだ。朝鮮王朝の始祖は1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。滅んだ高麗王朝の優秀な官僚たちにそのまま働いてもらおうと思ったが、その呼びかけを無視する者が多かった。

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彼らは杜門洞(トムンドン)という村に身を寄せ合うと、李成桂との関わりを一切断ってしまう。

「我らが忠誠を誓うのは高麗であり、朝鮮に忠誠を誓う訳にはいかない」

杜門洞にいる者たちは、口を揃えてこう話した。あまりの頑固さに李成桂は頭を痛めたが、朝鮮王朝の繁栄のためには彼らの力が必要だと思い、一計を案じた。

「杜門洞に出口を1カ所だけ設けて火を放て! どんなに頑固な奴らでも自分の命がかかっていたら、出てくるだろう」

李成桂の命令どおりに火がつけられた。しかし、燃えさかる火の中から120名いた忠臣たちのほとんどが出てこなかった。

さすがの李成桂もショックを隠しきれなかった。

「まさか、命を捨ててまで高麗への忠誠を守るとは…。私は彼らの思いを甘く見ていた」

この事件がきっかけで、1カ所にこもってしまうことを「杜門不出」というようになった。

『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』
時代劇『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』ではキム・ヨンチョルが李成桂を演じていた(画像=KBS)

静かな余生を過ごした李成桂

次に、もう1つの大事件を紹介しよう。

李成桂は、五男が兄弟同士の骨肉の争いの果てに3代王・太宗(テジョン)になっても、その即位を認めなかった。そればかりか、王の証である玉璽(王に与えられる印鑑)を持って、都から離れた咸興(ハムン)にこもってしまった。

太宗は玉璽を返してもらうように咸興に多くの使者を送った。しかし、送られた使者はすべて李成桂によって弓で殺されてしまった。

このことから、韓国では行ったきり戻ることのない人を「咸興差使」と呼ぶようになった。

やがて李成桂は自分の我がままのために多くの使者を殺したことを後悔するようになった。そして、自分が慕う無学大師(ムハクテサ)が説得にくると、ようやく都に戻り、太宗に玉璽を渡して隠居した。以後、李成桂は政治に関わらず、静かな余生を過ごした。

文=大地 康

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