【韓ドラになった歴史人】『哲仁王后』の趙大妃は夫を早く亡くした後にどう生き抜いたのか

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演技派シン・ヘソンが哲仁(チョリン)王妃を演じた『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』で、強烈な個性を発揮していたのがチョ・ヨニの演じる趙(チョ)大妃(テビ)こと神貞王后(シンジョンワンフ)であった。

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さらに、『明成王后』ではキム・ヨンリム、『Dr.JIN』ではチョン・ヘソン、『雲が描いた月明り』ではチェ・スビン、『風と雲と雨』ではキム・ボヨンが演じていた。

もともと趙大妃の夫は、頭脳明晰だった孝明(ヒョミョン)世子である。この世子は、『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じた主人公イ・ヨンのことだ。

孝明世子は純祖(スンジョ)の長男であり、国王になれば名君になるのが確実視されていたが、惜しくも21歳で早世してしまった。それは1830年であった。

趙大妃は絶望を味わったが、息子が1834年に7歳で憲宗(ホンジョン)として即位して大妃になった。その趙大妃の上に立っていたのが、大王大妃になっていた純元(スヌォン)王后だ。趙大妃もかなり気が強い性格であり、大王大妃の失脚を狙うような動きも見せていた。

『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』
『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でチョ・ヨニが趙大妃を演じた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

最大の反対勢力になった趙大妃

しかし、憲宗は1849年に22歳で亡くなってしまい、替わって王位に就いたのが哲宗(チョルジョン)であった。このとき、趙大妃が最も警戒したのが安東・金氏(アンドン・キムシ)だ。この一族が当時の政治権力を握っていたからだ。

その中で、超大妃は哲宗の後継者問題を利用して安東・金氏の政治的な影響力を排除しようと考えた。そこで、趙大妃は興宣大院君(フンソンデウォングン)と組み、彼の息子であった高宗(コジョン)を哲宗の後に即位させることに成功する。

しかし、2人はやがて対立するようになった。それは、趙大妃が自分の一族である豊壌・趙氏(プンヤン・チョシ)から高宗の妻を選ぼうとしたことがきっかけだった。興宣大院君は大反対して、弱い家門の娘を高宗の妻に迎えた。

結果的に興宣大院君の最大の反対勢力になった趙大妃は、彼の失脚を執拗に狙い続けた。1873年、趙大妃は王宮で起こった権力闘争を巧みに利用しながら、ついに興宣大院君との対決に勝利した。このように、趙大妃は強い性格で荒波を乗り越えた。

そんな趙大妃は以後も影響力を保持して1890年に81歳で亡くなった。

【趙大妃(神貞王后)の人物データ】

生没年
1809年~1890年

主な登場作品()内は演じている俳優
『明成王后』(キム・ヨンリム)
『Dr.JIN』(チョン・ヘソン)
『雲が描いた月明り』(チェ・スビン)
『風と雲と雨』(キム・ボヨン)
『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』(チョ・ヨニ)

文=大地 康

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