痛快時代劇『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』では、シン・ヘソンが演じた王妃が独特なキャラを発揮していたが、負けないくらい不思議な存在だったのが、チョ・ヨニが扮した趙(チョ)大妃(テビ)だった。
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彼女は、ペ・ジョンオクが演じた大王大妃(テワンテビ)にことごとく反発していくのだが、姑(しゅうとめ)にそこまで歯向かうことができるのだから、相当強気な性格だった。
もともと大王大妃と趙大妃は出身一族が違っていた。大王大妃は安東(アンドン)・金(キム)氏の出身であり、大妃は豊壌(プンヤン)・趙(チョ)氏の一族だ。
この二つの一族は、19世紀前半の朝鮮王朝の二大政治派閥であって権力闘争を繰り返していた。お互いに仲が悪かったのも仕方がなかったのだ。
そんな大王大妃と趙大妃にも、実は仲がいい時期があった。それは、「伝説のあの世子がまだ生きていた時代」だ。
その世子とは誰のことか。
人気時代劇『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じたイケメンの世子と言えば、すぐにわかってもらえるだろうか。
そう、孝明(ヒョミョン)世子のことだ。
彼は大王大妃の長男であり、趙大妃の夫であった。
生まれたのは1809年で、幼少のときから頭脳明晰で将来を嘱望された。しかも、容姿端麗で身長も高かった。「頭が良くてルックスがいい」と申し分のない人物で、『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じたイメージとピッタリの世子だった。
趙大妃が孝明世子と結婚したのは1819年だ。仲がいい夫婦であり、1827年には長男も生まれている。それが後の憲宗(ホンジョン)だ。
この時期が趙大妃にとって一番幸せだったことだろう。
しかし、1830年に孝明世子は21歳で亡くなってしまった。
「名君の器」と称賛させていた世子が急に世を去り、朝鮮王朝は大混乱に陥った。結果的に、安東・金氏と豊壌・趙氏の争いも激化して、その渦中に大王大妃と趙大妃も巻き込まれてしまった。
『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』に登場する大王大妃と趙大妃には、過去にそんないきさつがあったのだ。孝明世子が早世しなければ、2人は仲がいい「姑と嫁」でいられたかもしれないが……。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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