【韓ドラになった歴史人】『秘密の扉』に登場する思悼世子が歩んだ人生とは?

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思悼世子(サドセジャ)といえば、ドラマでは『イ・サン』ではイ・チャンフン、『秘密の扉』ではイ・ジェフン、『赤い袖先』ではト・サンウが演じた人物だ。

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朝鮮王朝21代王・英祖(ヨンジョ)の息子として生まれた荘献(チャンホン/後の思悼世子)は世子としての立場にありながら、父・英祖によって米びつに閉じ込められ餓死させられるという悲劇的な最期を迎えた。その背景には、宮廷内の権力争いと親子の確執があった。

19代王・粛宗(スクチョン)は正室から男子が生まれなかったため、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に生まれた子を王位継承者とした。

しかし、張禧嬪が死罪となったことで、その子である景宗(キョンジョン)の即位には反対意見も多かった。結果として、景宗の死後、別の側室・淑嬪崔氏(スクビン・チェシ)の子である英祖が王位に就いた。

英祖は党派争いを抑えるため、老論派(ノロンパ)と少論派(ソロンパ)の双方から人材を登用する政策を取った。しかし、両派の対立は激しく、特に英祖の息子・荘献の立場を危うくした。

『秘密の扉』のポスター
時代劇『秘密の扉』ではイ・ジェフンが思悼世子を演じた(写真=SBS)

悲劇的な最期を迎えた世子

荘献は幼少期から学問や芸術に秀でていたが、政治的には少論派を支持し、老論派の反感を買った。さらに、父・英祖との関係も悪化し、荘献に対する誤解や疑念が募っていった。

1762年、荘献が謀反を企てているという密告がなされる。英祖はこれを重く受け止め、王宮の門を閉じ、調査を命じた。荘献は潔白を訴えたが、父の疑念は晴れず、ついには自決を命じられる。しかし、それができなかったため、英祖は荘献を米びつの中に閉じ込めた。8日後、荘献は餓死した。

息子を死に追いやった英祖は、後に荘献の名誉を回復し、「思悼(サド)」という諡号を贈った。さらに、荘献の息子・祘(サン)は22代王・正祖(チョンジョ)として即位し、父の名誉を回復させた。彼は水原に華城(ファソン)を築き、父の墓を立派に整え、さらに父を死に追いやった老論派の重臣たちを厳罰に処した。

思悼世子の死は「朝鮮王朝最大の悲劇」とも言われ、その真相には未解明の部分が多い。この悲劇的な出来事は後世の創作物にも影響を与えた。思悼世子の死は単なる王朝内の権力争いにとどまらず、親子関係の葛藤や当時の政治情勢を象徴する出来事として、今なお多くの人々の関心を集めている。

【思悼世子の人物データ】

生没年
1735年~1762年

主な登場作品()内は演じている俳優
『イ・サン』(イ・チャンフン)
『風の絵師』(キム・ウォンソク)
『秘密の扉』(イ・ジェフン)
『赤い袖先』(ト・サンウ)

文=大地 康

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