韓国時代劇は朝鮮王朝を舞台にしたドラマが圧倒的に多い。この王朝は518年間も続いたが、わりと暗かった。他国に侵略されたり、王位継承問題で悲劇的な事件が多かったり……。その中で、本当に明るい希望を持てたのが22代王・正祖(チョンジョ)の統治時代であったかもしれない。
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正祖はイ・サンとしてよく知られている。イ・サンは正真正銘の名君で、1776年から1800年まで国を統治した。彼は優秀な人材を多く抜擢して王権中心の善政を行い、民の信頼も厚かった。しかし、彼の人生は華々しいだけではなかった。悲劇的な生い立ちもあったのだ。
それは、イ・サンが10歳のときだ。実の父である荘献(チャンホン)と祖父である21代王・英祖(ヨンジョ)が深刻な葛藤を抱えてしまった。2人の関係が悪化すると、荘献は世継ぎを取り消された。それだけでなく、英祖は荘献を米びつに閉じ込めて餓死させてしまった。
わずか10歳で父を亡くしたイ・サンの悲しみは計り知れなかった。そして、この事件は当時の権力争いがいかに熾烈だったのかも教えてくれる。
そうして即位したイ・サンは、父の意思を継いだ善政を行った。そのおかけで、庶民の暮らしは良くなり、人々は明るい希望を持つことができた。そのことは、ジュノ(2PM)が主演した『赤い袖先』でもよく描かれていた。
また、イ・サンは父の無念を晴らすために、父の墓を風水的に優れた水原(スウォン)に移した。イ・サンは本当に父親思いだったのである。彼が今でも韓国で尊敬されているのは、親孝行を最高の徳目と考える儒教の精神が韓国に色濃く残っているからだ。
イ・サンの死後、再び朝鮮王朝は内部の権力闘争で揺れた。そんなことの繰り返しの中で近代化が遅れ、結局は周辺国の干渉を許す結果となった。そして、1910年に朝鮮王朝は518年の歴史に幕を閉じた。
こういう経緯があるだけに、なおさらイ・サンの時代の明るさが際立ってくる。この時代なら、朝鮮王朝の歴史を華やかに思い出すこともできるのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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