【韓ドラになった歴史人】『赤い袖先』の貞純王后はイ・サンの最大の政敵だった

2025年01月21日 歴史 #歴史人物 #大地 康
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貞純(チョンスン)王后は、『大王の道』でイ・イネ、『イ・サン』でキム・ヨジン、『風の絵師』でイム・ジウン、『秘密の扉』でハ・スンリ、『赤い袖先』でチャン・ヒジンが演じてきた人物だ。

【関連】【大罪を犯した王妃】悪女が起こした恐ろしい悲劇

韓国時代劇によく出てくる21代王の英祖(ヨンジョ)。最初の正妻は貞聖(チョンソン)王后だったが、1757年に亡くなった。

朝鮮王朝では王妃が世を去ると、すぐに10代の娘を新しい王妃に迎えるのが常であり、すでに還暦を過ぎていた英祖は孫のような娘を正妻にした。それが貞純王后だ。

彼女は14歳で、世子に指名されていた英祖の息子の荘献(チャンホン/後の思悼〔サド〕世子)より10歳も年下だった。

荘献は派閥闘争の犠牲者になった世子である。政治の主導権を取ろうとした老論派がわざと荘献の素行の悪さを英祖に吹聴し、親子の仲は決定的に悪くなった。その末に、荘献は英祖の命令によって米びつに閉じ込められ、最後は悲劇的な餓死をしてしまう。

この事件の中で貞純王后は、英祖に荘献の良くない噂を流すという役割をしたと伝えられている。そこまでやったのは、彼女が老論派の一門の出身だったからだ。

『赤い袖先』の貞純王后
『赤い袖先』ではチャン・ヒジンが貞純王后を演じた(©2021MBC)

政治を我が物顔で牛耳った王妃

1776年、荘献の息子であるイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)が22代王として即位すると、貞純王后が感じた恐怖は普通ではなかった。イ・サンは父の死に関連した人物を次々と粛清したからである。

本来は貞純王后が真っ先に処罰されるべきだったが、彼女は大王大妃(国王の祖母)という存在だったために、さすがのイ・サンも手が出せなかった。

そのイ・サンが1800年に亡くなったあと、息子の純祖(スンジョ)が23代王となったが、まだ10歳であったために、貞純王后が垂簾聴政(摂政のこと)を行った。彼女は、イ・サンの時代に冷遇された自分の実家などを重視して、イ・サン時代の重臣たちを次々と排除していった。

貞純王后が行った悪政の中で一番悪名が高かったのがキリスト教の弾圧だ。その弾圧を行った理由は、自分の政治に対する反対派にキリスト教徒がとても多かったからである。

垂簾聴政によって政治を我が物顔に牛耳った貞純王后は、1805年に60歳で亡くなった。最後まで、政治を歪めた王妃であった。

【貞純王后の人物データ】

生没年
1745年~1805年

主な登場作品()内は演じている俳優
『大王の道』(イ・イネ)
『イ・サン』(キム・ヨジン)
『風の絵師』(イム・ジウン)
『秘密の扉』(ハ・スンリ)
『赤い袖先』(チャン・ヒジン)

文=大地 康

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