【『赤い袖先』の新解釈の是非】貞純王后が悪女でなかったのはなぜなのか

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あくまでも歴史的な評価で言えば、貞純(チョンスン)王后は典型的な悪女であった。21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室である彼女は、イ・サン(22代王・正祖〔チョンジョ〕)の人生にも決定的な悪影響を及ぼしている。それゆえ、ドラマ『イ・サン』でも貞純王后は悪事を働く女性として描かれていた。

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しかし、『赤い袖先』では違った。柔和なイメージを持つ女優チャン・ヒジンが演じて、役柄としても悪女という印象は特になかった。そういう意味で、『赤い袖先』は貞純王后を好意的に扱っていたと言える。

しかし、史実の彼女はどんなことをしていたのだろうか。

思悼世子(サドセジャ)が英祖によって米びつに閉じ込められて餓死した事件においても、貞純王后は思悼世子の悪評を英祖に告げ口する役割を果たしたと言われている。それは、彼女の父親が思悼世子と対立する老論派の重鎮であったからだ。

このとき、イ・サンは祖父の英祖に面会に行って思悼世子の助命を嘆願するのだが、相手にされずに追い返されてしまった。この屈辱は、イ・サンにとって消えることのないトラウマとなり、彼は父親を救えなかったことに深く苦悩し続けた。その強烈な負い目は、彼を異常なほどに父親思いへと変貌させ、国王になってからも思悼世子の陵墓を最大限に尊重し、大切に扱った。

『赤い袖先』ではチャン・ヒジンが貞純王后を演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

許されない行為

そんなイ・サンは1800年に突如として病にかかり、48歳でこの世を去った。死因として最も疑われているのは毒殺で、貞純王后がその疑惑の中心にいる。この毒殺説は、特に韓国において広く知られた有名な話となっている。

イ・サンは即位したとき、思悼世子の死に対する貞純王后の責任を重く見て、彼女を処罰しようと試みた。しかし、祖母にあたる女性を孫が処罰するのは、儒教的倫理観では許されない行為であった。その結果、貞純王后は不問のままとなった。

しかし、執念深い彼女は、イ・サンの命を狙い続け、数々の毒殺の機会をうかがっていた。そして、ついにイ・サンの毒殺を実行したと疑われたのだ。

そのことに関して『赤い袖先』はまったく触れなかった。結果的には、抒情的なクライマックスになってとても良かった、という意見も多くなっている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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