世祖といえば朝鮮王朝第7代王となった人物で、時代劇では『王と妃』ではイム・ドンジン、『王女の男』ではキム・ヨンチョル、『インス大妃』ではキム・ヨンホなど名俳優たちが演じていた。
【関連】【韓ドラになった歴史人】「絶世の美女」と絶賛された王女の悲しみとは何か世祖(セジョ)はもともと王位を継ぐ資格がなかったが、野心を抱いて数々の策謀を巡らせた人物である。
彼は4代王・世宗(セジョン)の二男として生まれたが、当時の慣例では長男が王位を継ぐため、兄の文宗(ムンジョン)が5代王となった。
しかし、文宗は病弱で即位から2年余りで亡くなり、その後を11歳の長男・端宗(タンジョン)が6代王として継いだ。
文宗は自らの死後を案じて、異民族の侵攻を防いだ英雄・金宗瑞(キム・ジョンソ)と総理大臣である皇甫仁(ファンボ・イン)に端宗を補佐させた。しかし、これに不満を抱いたのが首陽大君(スヤンデグン)だった。
彼は「幼き王を補佐するという名目で権力を握るとは許せない」と考え、自らが国王となるべきだと確信した。彼の計画を支えたのが、政治に不満を持つ韓明澮(ハン・ミョンフェ)や申叔舟(シン・スクチュ)だった。
一方で、金宗瑞と皇甫仁は首陽大君の弟である安平大君(アンピョンデグン)を後ろ盾にし、両派の対立は深まった。
首陽大君はまず金宗瑞の暗殺を計画し、従者を使って彼を屋敷の前で襲撃。息子の金承珪(キム・スンギュ)もろとも殺害した。その後、端宗に「金宗瑞と皇甫仁が反逆を企てた」と訴え、次の標的を皇甫仁に定めた。
首陽大君は端宗に高官の招集を命じ、集まった官僚たちを1人ずつ狭い門を通らせて処刑するという苛烈な方法で政敵を排除。この政変は「癸酉靖難(ケユジョンナン)」として知られている。
こうして彼は1455年、端宗を退位させて7代王・世祖として即位した。
しかし、王位を奪った世祖への反発は根強かった。成三問(ソン・サムムン)ら「死六臣(サユクシン)」は世祖暗殺を企てたが失敗し、全員処刑された。また、世祖の弟・錦城大君(クムソンデグン)も端宗復位を図ったが露顕して処刑された。
これらの反乱を受け、世祖は端宗を1457年に流罪にし、殺害することで反対勢力を完全に封じ込めた。
王位を手中にした世祖は、その後、制度改革や「経国大典」の編纂に力を注ぎ、朝鮮王朝の法体系を整備した。
しかし晩年には原因不明の皮膚病に悩まされ、庶民の間では、端宗の母・顕徳(ヒョンドク)王后のたたりだとの噂が広がった。世祖の子供たちも短命に終わり、この噂は一層広まった。
世祖の治世には功績もあるので彼は10代王の燕山君(ヨンサングン)ほどではないが、王位奪取のために多くの命を奪ったことから、「悪王」としての評価を免れない。
【世祖の人物データ】
生没年
1417年~1468年
主な登場作品()内は演じている俳優
『王と妃』(イム・ドンジン)
『王女の男』(キム・ヨンチョル)
『インス大妃』(キム・ヨンホ)
文=大地 康
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