『青春ウォルダム』の世子イ・ファンは史実なら誰に該当する?

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NHK BSの放送で終盤を迎えている『青春ウォルダム 呪われた王宮』。パク・ヒョンシクが扮した世子イ・ファンは、素晴らしい頭脳と優しい性格の人間として描かれている。次代の国王として申し分のない存在である。

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そんなイ・ファンは兄が急死したことで、代わりに世子になっている。もし兄に息子がいたら、その息子が世子を引き継ぐのだが、弟が世子になっているということは、ドラマ上でも兄に息子がいなかったということになる。

そこで、実際の朝鮮王朝の歴史を当てはめてみよう。朝鮮王朝で世子が亡くなった例として有名なのが、1762年に米びつに閉じ込められて餓死した思悼世子(サドセジャ)と1830年に病死した孝明世子(ヒョミョンセジャ)である。この場合は、世子の息子が引き継いで後に国王になっている。つまり、世子が亡くなったらその息子が代わって世子になるのが正統的なのである。

しかし、その原則が歪められたときがある。それが、1645年に昭顕世子(ソヒョンセジャ)が亡くなったときだ。本来は彼の息子が世子を引き継ぐべきだった。特に、昭顕世子には3人の息子がいたので問題もなかった。

それなのに、昭顕世子の父親の仁祖(インジョ)は強引に昭顕世子の弟の鳳林(ポンニム)を世子に指名した。鳳林は仁祖の二男で本来は世子を引き継ぐ資格がないのに、仁祖が王位継承権を歪めたのだ。この仁祖は昭顕世子を憎んでいて毒殺した疑いまで持たれている。

このような不可解な人事で世子になった鳳林は、1649年に17代王・孝宗(ヒョジョン)として即位している。考えてみれば、『青春ウォルダム 呪われた王宮』で兄の急死によって世子になったイ・ファンは、鳳林と立場が似ていた。つまり、『青春ウォルダム 呪われた王宮』の設定は史実に該当する部分があったのである。

『青春ウォルダム』
画像=tvN

仁祖の二男と立場が似ている

【『青春ウォルダム 呪われた王宮』ドラマ概要】
〔放送日時〕 
●NHK BS 毎週金曜午前0時25分[木曜深夜] 
〔役名/出演者〕
イ・ファン/パク・ヒョンシク
ミン・ジェイ(コ・スンドル) /チョン・ソニ
チャン・ガラム/ピョ・イェジン
ハン・ソンオン/ユン・ジョンソク
キム・ミョンジン/イ・テソン
テガン/ホ・ウォンソ
チョ・ウォンボ/チョン・ウンイン
国王/イ・ジョンヒョク
王妃/ホン・スヒョン

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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