韓国時代劇には悪女がよく出てくるが、彼女たちも根っから性格が悪かったわけではない。貧困や差別によって仕方なく悪女にならざるをえなかった女性も多かったのだ。それでも、中には「救いようのない本当の悪女」もいた。
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その場合にかならず名前があがるのが鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)である。彼女は11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后の手先だった。
そうやって行なった悪事の中で特に有名だったのが「灼鼠(しゃくそ)の変」だ。この事件が起こったのは1527年である。
中宗の息子である世子の誕生日に際して、彼の屋敷を囲む大木の枝に、炎に焼かれたネズミの死骸が無残にも吊るされていた。さらには、大殿(王の居室)のそばにおいても、同じく焼かれたネズミの死骸が発見された。
世子は子(ね)年に生まれたことから、ネズミの死骸は、彼の未来に訪れる不幸な運命を暗に示唆しているかのようにも映った。そこで、宮廷は不穏な空気に包まれ、徹底的な犯人捜しが始まったが、敬嬪・朴(パク)氏という側室が疑いの目を向けられるようになった。
もともと彼女は中宗に寵愛されていたので、宮中における彼女の地位は非常に強固なものであった。しかしながら、文定王后は彼女に対し深い怒りを抱き、巧みな策略をもって敬嬪・朴氏を罠にはめた。この陰謀において暗躍したのが、手先として「灼鼠の変」を引き起こした鄭蘭貞だった。
このようにして、文定王后は最も嫌う敵を宮廷から追放することに成功した。実行役として手を汚したのは鄭蘭貞であり、彼女は文定王后の命令に従って数々の悪事を重ねた。最も恐ろしかったのが、世子から即位した仁宗(インジョン)の毒殺であった。
この毒殺説は多くの時代劇に描かれているが、鄭蘭貞が真犯人であるかは定かでない。しかしながら、文定王后の指示のもと、鄭蘭貞が重大な罪を犯した疑いは濃厚である。
結果として、文定王后は自らの子を王位に就かせることに成功し、以降は政治を掌握して悪政を敷いた。その手助けをしたという意味で、鄭蘭貞の罪は本当に大きい。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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