朝鮮王朝をダメにした「ワルの張本人」と称された三大王妃とは?

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朝鮮王朝には、存続した518年間で国王が27人いたのだが、王妃は42人にのぼっていた。この中には「聖女」のような人格者がいたが、その反対に、悪人のような王妃もいた。特に、朝鮮王朝をダメにしたと目されているのが、文定王后(ムンジョンワンフ)、貞純王后(チョンスンワンフ)、純元王后(スヌォンワンフ)の3人だ。彼女たちは一体、何をしたのか。その悪事を明らかにしていこう。

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●文定王后[1501~1565年]

11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室。自分が産んだ息子を王位に就かせるため、中宗の先妻の子供だった12代王・仁宗(インジョン)の暗殺を執拗に狙って、結局は毒殺したと疑われている。

こうして我が子が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位すると代理で政治を仕切り、賄賂で私腹を肥やした。当時は日照りが続いて餓死者が続出したが、何の対策も取らずに庶民を見殺しにした。 

写真左から、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』の純元王后(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)、『オクニョ 運命の女(ひと)』の文定王后、『イ・サン』の貞純王后

●貞純王后[1745~1805年]

21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室。10代で結婚したときは夫の英祖より年齢が51歳も下だった。英祖の息子であった思悼(サド)世子は自分より10歳上だったが、思悼世子が米びつに閉じ込められて餓死する事件が起きたとき、彼を失脚させるために陰で動いていた。

1800年に思悼世子の息子だった22代王・正祖(チョンジョ)が亡くなったときは毒殺説の首謀者と見なされた。すぐに23代王・純祖(スンジョ)の後見人となり、自分の政敵が多いという理由でカトリック教徒を弾圧して、多くの庶民を虐殺している。

●純元王后[1789~1857年]

純祖の正室。国王が弱気な性格であることを見抜いて、実家の安東・金氏(アンドン・キムシ)の出身者を政治的に重用し、一族で政権の中枢を完全に独占していった。このように、国王の外戚が権力を掌握することは「勢道(セド)政治」と称された。

純祖の死後も後継者を独断的に選び、勢道政治を死ぬまで継続させた。しかし、賄賂政治がはびこるという弊害がとても多かった。間違いなく、19世紀の朝鮮王朝を衰退させた張本人であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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