チョン・イルが主演している『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』において、国王として登場する光海君(クァンヘグン)はキム・テウが演じている。このドラマにかぎらず、韓国時代劇の舞台裏では、「大北(テブク)派」が頻繁にその姿を現す。
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これは、17世紀前半の朝鮮王朝を支配して政治の中心となった派閥の名である。当時の複雑に絡み合った派閥の構図は、一体どのようなものだったのであろうか。
朝鮮王朝の暗部とも言える「党争」が猛烈な勢いで激化したのは、16世紀終盤のことだった。14代王・宣祖(ソンジョ)の統治の下、朝鮮王朝の官僚たちは、東人派と西人派という二つの勢力に分かれて激しく争い合った。
やがて、東人派がその勢力を強め、西人派を劣勢に追い込んだ。しかしながら、内部には意見の対立が渦巻いており、東人派は南人派と北人派という二つの勢力に分裂してしまった。この時点で、南人派よりも北人派の方が勢いに乗っていた。まさに、北人派の時代の幕開けであった。
ところが、北人派は大北派と小北派に分かれることとなった。光海君を擁立したのは大北派であり、光海君の異母弟である永昌大君(ヨンチャンデグン)を支持したのは小北派であった。この時点ではまだ西人派も存在感を保っていたが、1608年に光海君が王位に就くと、その勢いは衰え、じりじりと力を失っていった。しかし、それでも彼らは生き残りをかけて、必死にあがいていた。
このようにして、光海君の治世時代、朝鮮王朝は大北派の支配下に入った。この大北派を支えた大物高官がイ・イチョム(李爾瞻)であり、『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』では重鎮俳優のイ・ジェヨンが演じている。そして、女官として暗躍したのが、ソン・ソンミが扮したキム・ゲシ(金介屎)だ。
2人は陰謀を巡らせ、1614年に永昌大君を暗殺した。これによって、永昌大君を支持していた小北派は没落してしまった。
結局、華やかな舞台の裏で激動の時代を駆け抜けた朝鮮王朝の物語は大北派の天下になったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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