韓国時代劇を見ていると、まさに「女帝」と呼べるほどに強大な権力を持った女性が出てくる。朝鮮王朝で言えば、幼い国王に代わって政治を代行した文定(ムンジョン)王后、貞純(チョンスン)王后がまさに「女帝」のような存在だった。
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しかし、彼女たちも本当の国王になったわけではない。朝鮮王朝では518年間にわたって27人の国王がいたが、女性の国王は1人もいなかったのだ。実際、朝鮮王朝の時代は、男尊女卑の風潮が強烈な儒教社会だったので、幼い国王の代理となる「女帝」がいても、正真正銘の「女王」が誕生する余地はなかった。
それでは、2000年の歴史をたどってみれば、どのようになっていただろうか。果たして、古代に女王はいたのだろうか。
実は、新羅(シルラ)の国王の系譜を見れば、3人の女王が出ている。
1人目は27代王・善徳(ソンドク)女王で、在位は632年から647年までであった。
2人目は28代王・真徳(チンドク)女王で、在位は647年から654年までだった。
3人目は51代王・真聖(チンソン)女王であり、在位は887年から897年までとなっている。
新羅では56人の国王が統治したが、以上のように3人が女性だった。
その一方で、三国時代に覇を競った高句麗(コグリョ)や百済(ペクチェ)では、女王はゼロだった。たとえば、高句麗では国王が自ら軍の先頭に立つことが当然だったので、女性が国王になることは考えられなかった。反対に、新羅ではなぜ女王が誕生する可能性があったのか。
それは、新羅には女性が政治の場に出られる下地があったからだ。貴族階級に限定されるとはいえ、優秀な女性を選抜してエリート教育を行なう仕組みもあり、その中で国王になれるほどの女性が育っていった。それゆえ、もしも国王に息子がいないときは娘が国王になることも可能だった。やはり、古代の新羅のほうが、男女平等の思想があって女王の誕生にも理解があったと言える。
特に、27代王の善徳女王は、大変に優秀で国をよく統治した。彼女の活躍は人気を集めた時代劇『善徳女王』でもしっかりと描かれていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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