善徳女王が中国から無理難題を言われて決断した起死回生の政策とは?

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イ・ヨウォンが主演したドラマ『善徳女王』は、今でも人気がとても高い。韓国ではMBC で2009年に放送されているが、根強い評価を保っている。それだけ、時代劇の名作の中でも上位にランクされる傑作だったのだ。

主人公となる善徳女王は、朝鮮半島の歴史で3人しかいない女王の1人だ。新羅(シルラ)の王として即位したのは632年だった。

当時、朝鮮半島は三国時代だった。そして、新羅と領土をめぐって熾烈に争っていたのが高句麗(コグリョ)と百済(ペクチェ)だった。しかし、新羅は高句麗と百済と比較しても、明らかに劣勢だった。

そこで、新羅は中国を支配していた唐の協力を得ようとした。すぐに善徳女王は使者を唐に送った。「唐はきっと申し出を受け入れてくれるはず」という期待感が大きかった。

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しかし、唐の反応は逆だった。

「お宅の国は女を国王にしているから、他国に侮(あなど)られているのではないか。我が国の王族を派遣するから王にしたらどうか。そうしたら協力してあげよう」

そこまで言われてしまったのだ。

新羅の国内では反応が真っ二つに分かれた。

ドラマ『善徳女王』(MBC 2009 All Right Reserved.)

歴史に残る素晴らしい国王

中国の言うとおりにして協力してもらったほうがいいという意見と、そんな申し出は絶対に受けられないという意見……この二つの意見が真っ向から対立したが、最後は善徳女王が自ら決断した。それは、中国の申し出を断るというものだった。

そのあとに善徳女王はどうしたのか。

彼女は若手を積極的に登用することにした。様々な分野で、まだ経験が不足していたが才能が光る人を重職に就けたのである。

この果敢な決断が大いに生きた。若手が才能を発揮して、徐々に国力が高まっていった。

かくして、新羅は高句麗と百済と互角以上の戦いをするようになった。

結局、善徳女王の統治は成功し、彼女が亡くなったあとに新羅は念願だった朝鮮半島の統一を成し遂げた。

そのきっかけを作ったのが、間違いなく善徳女王なのである。やはり、彼女は歴史に残る素晴らしい国王であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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