【歴史コラム】イ・サンが老論派に対抗できる強固な立場になったのはいつ?

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『赤い袖先』の前半で政治的に重要な出来事だったのが、世孫(セソン)であるイ・サンが代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)をまかされる場面だった。

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史実を見てみると、朝鮮王朝第21代王・英祖(ヨンジョ)は1775年11月30日に重臣たちを集めて、イ・サンに代理聴政をまかせることを宣言した。しかし、重臣たちは猛反対した。その急先鋒が洪麟漢(ホン・イナン)であった。彼は、イ・サンの母である恵嬪(ヘビン)ホン氏の父・洪鳳漢(ホン・ボンハン)の弟だった。

本来ならイ・サンに味方するはずなのだが、実際は逆だった。彼は老論派の重鎮であり、老論派と敵対するイ・サンの即位を阻む立場だった。

そんな洪麟漢を前にして、英祖は強硬に言った。

「大臣たちが言うことは奇怪きわまりない。今、王命を書面にする」

『赤い袖先』ではイ・ジュノがイ・サンを演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

イ・サンの軍事力

英祖はすぐに承旨(スンジ/王命の出納を管理する官職)を呼んで王命を書面にする作業を始めさせた。しかし、洪麟漢がその作業を中断させようとした。

同席していたイ・サンは、洪麟漢の権力を認めざるをえなかった。なにしろ、イ・サンにはわずかな家臣がいるだけで、王宮での立場は弱かった。結局、公の場であっても洪麟漢を強く批判することができなかった。それでも、イ・サンは洪麟漢にこう言った。

「私は代理聴政を辞退したいと思います。ただし、王命が文書になっていなければいけませんから、せめて文書をつくらせてくれませんか」

イ・サンにしてみれば、「代理聴政をまかされること」が文書に残っている意味が大きかった。そのことを最優先するために、あえて代理聴政の辞退を表明したのだ。

洪麟漢はイ・サンを無視し、承旨が文書をつくる作業を邪魔し続けた。

英祖は激怒した。洪麟漢を処罰したかったが、かろうじて感情を抑えた。そして、重臣たちを見回しながら冷静に告げた。

「巡監軍(スンガムグン)をイ・サンの配下に付けることにする」

ここで英祖が言う「巡監軍」は本来なら国王を守る軍隊だ。それがイ・サンの配下になるというのは、イ・サンが軍事力をもつことを意味していた。今までのように無力なイ・サンではなくなるのだ。

こうしてイ・サンは自分の立場を強固にすることに成功したのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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