人気時代劇『トンイ』を見ていると、ハン・ヒョジュの演じたトンイが魅力的で最高のヒロインであることは間違いない。それと同時に興味深いのが、イ・ソヨンが演じた張禧嬪(チャン・ヒビン)とパク・ハソンが扮する仁顕(イニョン)王后であった。
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2人はどのような関係だったのか。ここで2人を対比させて紹介しよう。
張禧嬪は1659年に生まれ、仁顕王后は1661年に誕生した。
1681年、仁顕王后は妻をなくした粛宗の新しい王妃として迎えられた。しかし、当時の粛宗に深く愛されていたのは、宮廷の女官であった張禧嬪のほうだった。
粛宗の母である明聖(ミョンソン)王后は、張禧嬪に対する強い嫌悪感から彼女を王宮から追放した。しかし、仁顕王后は自身の優しさを隠すことができず、張禧嬪に対して同情の念を抱き、彼女を再び宮廷に戻すべきだと提案した。それでも明聖王后は、仁顕王后の提案を退け、「あの女は再び策略をめぐらすでしょう」と反論した。
それにもかかわらず、仁顕王后は再度、張禧嬪を擁護し、「まだ起こっていない事態に対してすぐに心配する必要はないのではないですか」と言った。仁顕王后のこの行動は、明聖王后を驚愕させた。
明聖王后の死後、仁顕王后は再びお人好しの性格を出した。なんと彼女は、王の愛情に応える女性として張禧嬪を宮中に呼び戻すべきだ、と粛宗に提案したのだ。粛宗が異議を唱えるわけがなく、彼は喜んで張禧嬪を呼び戻した。
そんな張禧嬪は仁顕王后に感謝するどころか、「自分が粛宗にどれほど愛されているか」を露骨に示した。仁顕王后が「もっと王の心を理解すべきだ」と忠告しても、張禧嬪はただ黙々と彼女の忠告を無視した。
仁顕王后が張禧嬪を呼び出して説教しようとしたとき、張禧嬪は自己中心的な態度を示したり、単に無視したりした。これが仁顕王后の忍耐の限界を引き起こした。それ以降、彼女は張禧嬪に対して厳しい態度をとるようになった。
こうして2人の本格的な争いが熾烈にスタートしていくのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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