ハン・ヒョジュが主演した『トンイ』で19代王・粛宗(スクチョン)を演じたのがチ・ジニだった。彼は柔らかい感性で人間味のある粛宗を演じた。
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しかし、史実の粛宗はどういう国王だったのだろうか。彼は1688年に妻であった仁顕(イニョン)王后を勝手に離縁していた。それによって彼女は廃妃(ペビ)になってしまったのだが、5年後に粛宗は仁顕王后を再び王妃に戻す決心をしている。
仁顕王后の王妃への復活は、多くの高官たちに歓迎された。それほど彼女には人望があったのだ。『トンイ』ではパク・ハソンが仁顕王后を演じていた。
歴史上で粛宗が仁顕王后を再び迎えたのは1694年4月12日だった。
そのとき、粛宗は次のように述べている。
「最初は奸臣(かんしん)たちにそそのかされて間違って処分してしまったが、ようやく本当のことを悟った。恋しくてもどかしい気持ちは時間が経つごとに深くなり、夢で会えばそなたが余の服をつかんで涙を流していた」
粛宗の言葉は言い訳がましく聞こえるかもしれないが、そこまで言わないと、周囲を説得できなかったのだ。彼なりに「熟慮の末の結論」を強調したかったものと思われる。
それまでの朝鮮王朝の歴史の中で廃妃になった王妃は何人もいたが、再び王宮に戻ってこられたのは仁顕王后が初めてである。
反対に、王妃の座から転落したのが人徳のない張禧嬪(チャン・ヒビン)だ。彼女が「国母」と称される位置にいられたのは短い期間であった。
粛宗は張禧嬪の処遇について次のよう述べた。
「王妃から変わり、再び『禧嬪』というかつての号に戻る。世子(セジャ)はそのままにして廃しないようにせよ」
つまり側室に戻るということだ。また、粛宗が述べている世子とは、張禧嬪が1688年に産んだ王子で、粛宗の正統な後継者であった。このように、彼は張禧嬪を側室に降格させつつも、その子である世子の立場をしっかり守ったのだ。その世子が後に粛宗を継いだ20代王の景宗(キョンジョン)だった。
結局、1701年に死罪となった張禧嬪はあれほど切望した「国王の母」になることはできたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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