朝鮮王朝時代の女性たちを苦しめたのが儒教的な男尊女卑であった。朝鮮王朝では儒教を国教にしていたので、男尊女卑の風潮がとても強かったのだ。
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特に、女性が強いられたのが「三従之道」だった。これは「幼少期には父母への従順さを要求し、結婚に際しては夫への服従を課し、晩年には息子への服従を求める」という儒教的な道徳観を指すものであった。
さらに、朝鮮王朝時代の女性を圧迫したのが「七去之悪」(チルゴジアク)という厳格な掟だった。これは、男性である夫が女性である妻を任意で離縁できるという7つの条件を示したものだ。
その7つとは果たして何か?
それは、「両親への奉仕が足りない」「男子を産まなかった」「道徳に反する行為をした」「人々を騙して対人関係を悪化させた」「身体が虚弱である」「話しすぎる(不和を引き起こす)」「嫉妬心が強すぎる」などだ。本当に理不尽と言える条件である。
特に、「嫉妬深い」という理由は、男性が妾を持つことを許容できない妻を狙い撃ちにした。哀れな妻は単にその嫉妬心を責められ、離縁の対象とされてしまったのだ。このような掟が存在し、女性たちに再婚の自由さえ認めなかった朝鮮王朝では、女性たちはその生涯を夫の言葉に従うことで過ごすしかなかった。それでも離縁されることがあったのだ。
このように男尊女卑の対象となる理不尽さは、王族の女性であっても例外ではなかった。19代王・粛宗(スクチョン)の正妻であった仁顕(イニョン)王后は、何の過失もないのに1689年に粛宗の訴えにより廃妃となってしまった。その理由とは、「王妃はあまりにも嫉妬深い」というものだった。
その結果、仁顕王后を追い出して王妃の座を空けた粛宗は、そこに張禧嬪(チャン・ヒビン)を座らせた。それが粛宗の狙いだったのだ。本当にわがままな国王であった。
実際、王妃までもが犠牲となった事実を見ると、「七去之悪」はまさしく最悪の掟と言えるであろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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