テレビ東京の韓流プレミアで5月17日から始まった『イ・サン』。序盤はイ・ソジンやハン・ジミンといった主役たちの登場はなく子役たちの出演となっていた。
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第1話は衝撃的な場面から始まっている。なんと、思悼世子(サドセジャ)が王宮の中庭で米びつに閉じ込められているのだ。世子といえば、次の国王を担う王朝のナンバー2だ。そんな人がなぜ米びつに閉じ込められているのか。
この大事件は1762年に起こったもので、韓国人であれば誰もが知っている出来事だ。それゆえ、『イ・サン』でも思悼世子が米びつに閉じ込められている背景については全く説明されていない。誰もが知る事件なので説明する必要がなかったのだ。
しかし、日本の視聴者はそういうわけにはいかない。思悼世子が米びつに閉じ込められた理由がわからないと、なぜ唐突に彼が餓死寸前になっているのかが理解できない。そこで、この事件の背景を説明しておこう。
思悼世子は英祖(ヨンジョ)の息子である。英祖は思悼世子に期待し、次の王朝の政治を任せようとしていた。しかし、思悼世子は素行が悪く、何かと問題を起こしていた。頭脳明晰で抜群に頭が良かったのだが、酒癖が悪く家臣への暴力も多かったと歴史書は伝えている。
それゆえ、英祖は何度も思悼世子を叱責して立ち直らせようとした。だが、思悼世子が態度を改めることがなかったので、英祖は激怒し、ついに思悼世子を米びつに閉じ込めてしまったのである。英祖はとても偏屈な国王であったと言われており、息子の素行の悪さに到底我慢ができなかったのだ。
事件には当時の派閥争いも関係している。政権で一番影響力を持っていた老論派は思悼世子を警戒していた。なぜなら、思悼世子が頻繁に老論派を批判していたからだ。それゆえ、老論派は思悼世子の素行の悪さを英祖にしきりに伝えて親子の間が悪くなるように仕向けていた。
このように、思悼世子は政敵とも言える老論派に陥れられて米びつに閉じ込められるような事態を招いてしまったのだ。
思悼世子が餓死寸前になった背景には以上のような経緯があった。この事実をよく知った上でドラマ『イ・サン』を見ると、さらに理解が深まるであろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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