【イ・サンの修羅場】思悼世子が餓死する直前、英祖に何を懇願したのか

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朝鮮王朝の22代王・正祖(チョンジョ)の一代記として有名な時代劇は2007年に制作された『イ・サン』(イ・ソジンが主演)であった。

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しかし、それから14年ほど経ってから、2PMのジュノが主演した『赤い袖先』が大評判になり、今では「イ・サン=ジュノ」という評価が定まってきた。それほど『赤い袖先』は歴史ドラマとして強烈なインパクトを残したのである。

このドラマでは若きイ・サンと祖父の英祖(ヨンジョ)の関係も深く描かれていたが、史実の中で2人が修羅場で相対したという場面をぜひ紹介したい。

それは、イ・サンが10歳だった1762年の話だ。父親の思悼(サド)世子は度重なる不祥事で英祖から世子失格の烙印を押され、自害を命じられた。

しかし、思悼世子は自ら命を断つことができず、王宮の中庭で土下座しながらひたすら英祖の許しを乞うていた。

それでも、英祖の怒りは収まらず、彼は刀を振り回して息子に対して「自害せよ」と強要した。まさに、王朝を揺るがす修羅場であった。

画像提供=韓国MBC

亡き父を敬慕していた

こんな緊迫した場に現れてきたのが10歳のイ・サンだった。彼は王宮の中庭にやってきて、嗚咽しながら土下座をしている思悼世子の後ろでひざまずいた。

そのうえで、イ・サンは祖父である英祖に向かって「父をお許しください。なにとぞ、父を許してあげてください」と何度も頭を下げた。

それは、魂の哀願であった。

このままでは、父が自害させられるのは明らかだった。それを防ぐために、イ・サンは祖父に何度も「父をお許しください」と懇願したのである。

しかし、イ・サンの願いは聞き入れられず、英祖の命令によって米びつが運び込まれて、その中に思悼世子が閉じ込められた。

結局、思悼世子は水と食料を与えられず、米びつの中で餓死した。

まさに「朝鮮王朝の悲劇」であったが、とりわけイ・サンの心に与えた衝撃があまりに大きかった。

彼は父を救えなかったことを生涯にわたって悔やみ、父の墓を風水の適地とされた水原(スウォン)に移し、都そのものも水原に遷都しようとした。それほどイ・サンは亡き父を敬慕していたのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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